2. フォードT 型車の大量生産

ガソリン自動車はドイツで発明されましたが、自動車が一般に普及するような大量生産を確立したのはアメリカのフォードです。アメリカには広大な土地が広がっています。フォードは、みんなが自動車で走り回れる社会を作ろうとしたのです。

同じ規格の自動車をベルトコンベア式の組み立てラインで製作し、大量生産して生産単価を下げ、自動車の価格を下げて従業員すべてが車を持てるようにしようとしました。

この生産を支えたのは、自動車の各部品を精度よく大量に製作できる工作機械の発達です。アメリカでは1800年代から銃の生産を基に、旋盤やフライス盤など各種の工作機械や工具の開発が進んでいました。このような工作機械技術を基にして、大量生産を確立した有名な車がフォードT型車です。そんな、初めて大量生産されたフォードT型車の仕組みを図8に示します。

エンジンは4気筒で、ガソリンと空気の混合気を吸気バルブから入れて、点火プラグで爆発させます。4つのピストンの動きがクランクシャフトに伝えられます。

このクランクシャフトの前方でカムシャフトが回され、カムによって作られる上下動の動きによって、吸気バルブと排気バルブが動きます。ピストンの動きと排気バルブ、吸気バルブの動きが連動して、4サイクルエンジンの①吸気バルブ開とピストンの引き込みによる混合気の取り込み→②ピストンの押込みによる混合気の圧縮→③点火プラグの発火にともなう爆発によるピストンの押し下げ→④排気バルブ開とピストンの戻りによる排気という4サイクルが生じるのです。

[図表1]フォードT型車の構造

クランクシャフトの後方にマグネトと呼ばれる発電機があり、ここで点火プラグに火花を飛ばすための電気を発生させます。その後方には遊星歯車機構の変速機がついています。運転席には三つのペダルがあり、何も押さなければ、通常(高速)の回転、一番左のペダルを押すと低速回転、真んなかのペダルを押すとバック(後転)、一番右のペダルを押すとブレーキになっています。

クランクシャフトから伝わる動力軸は、ディファレンシャルギヤを通じて後輪を駆動させます。ハンドルは今日見慣れた円形リングとなっています。ハンドルを操作すると、前輪のステアリングアームを動かして、前輪の向きを変えるようになっています。

 フォードはこのような一定の規格の自動車を決めて、[図表2]のようにベルトコンベア生産ラインを作りました。そして、大量生産によって車の価格を下げる一方で、従業員の給料を2 倍に上げ、誰もが買える自動車を作りました。フォードのT型車は、大量生産による工業製品の普及という産業システムを確立したのです。

[図表2]フォードの大量生産システム

フォードT型車は作り始めた当初の1908年は一台の値段が850ドルでしたが、大量生産が進んだ1927年には一台290ドルまで低下しました。20年足らずで3分の1ほどまでに価格が下がったことで、1924年には全米の生産台数360万台のうち、200万台がフォードのT型車でした。フォードのT型車は累計で1500万台が生産されました。

3. 1920年代のアメリカの高度成長と大恐慌

1920年代はアメリカが急激な工業発展を遂げた時代です。その流れを[図表3]に示します。自動車の大量生産を支えたのは、USスティールなどの鉄鋼メーカーによる鉄の生産です。自動車に使われるガソリンはペンシルバニア州で発見された油田から精製されました。

その精製工場を支配したのがロックフェラーのスタンダードオイルです。ロックフェラーはこれによって莫大な資産を作り、今日に至るロックフェラー財団となっています。さらに企業に資金を貸し付ける銀行業が発達し、ニューヨークのマンハッタンに金融ウォール街が形成されました。

この金融街で大きな力を持ったのがモルガンです。ニューヨークに摩天楼と呼ばれる高層ビルが建築されていきました。エンパイア・ステート・ビルが1929年に着工され1931年に竣工されています。エジソンの白熱電球の発明からはジェネラルエレクトリック(GE)が設立され、電力産業が発展しました。

[図表3]1920年代のアメリカの高度成長

一方で、アメリカ政府は科学技術によって国が豊かになるということを懸命に国民に宣伝していきました。そして、アメリカは科学技術で世界のトップに立つということを国策としていきます。アメリカでSF映画が盛んになったのも、このころからの政府の科学技術振興宣伝政策の影響があります。

こうして1920年代のアメリカは高度成長しましたが、産業に資金提供する金融の力が大きくなりました。つまり、お金が蓄積され、そのお金を動かす力が産業に大きな力を及ぼすようになりました。金融街での株への投機過熱が進み、これが1929年の信用不安から始まる世界大恐慌を巻き起こすことになりました。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『人と技術の社会責任』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。