【前回の記事を読む】「ママ、ファイト!」声を振り絞って泣いた。入院生活の始まり

入院生活の始まり

廉は階下の気配で目が覚めた。キッチンの換気扇が回っている。そして忙しく冷蔵庫を開け閉めする音。目覚まし時計を引き寄せると七時半を指していた。

リビングに下りると、テーブルには白い皿にハムとバナナが用意されていた。皿には、和枝から留守番を託された遥の小さな決意みたいなものも一緒に載っている気がした。

「『そら』の散歩は俺が行こうか」

「もう行ったよ」

「そら」は平林家で飼っている五歳のシーズー犬。近くのペットショップで遥が選んだ子で、東日本大震災発生の二週間前から家に来ていた。遥にべったりで毎晩寝るときも一緒だ。

入院直前、和枝が何より心を砕いたのは、廉と遥の二人三脚生活をどうするかという問題だった。遥にがんを打ち明けた夜、和枝はいくつか方針を決め、紙に書き出していた。

朝は朝食の用意からゴミ出しまで、昼も夜も仕事の分担と量を曜日ごとに決める。遥はピアノのほかにバレエとアトリエの習い事があるので、それらをこなせる前提で家事を受け持つ。そして夕食づくりまでは到底手が回らないので、当面は配食サービスを利用するのがベターと結論づけた。

やがて廉が仕事に復帰したら二人で出来る家事は今の三割くらいに減る。その穴を埋めるため、和枝は、社会福祉士である姉の真咲と相談し、藤沢市が運営するグループホームに週二回家事代行をお願いする手はずを整えてくれていた。