【前回の記事を読む】「何もかも順調に運ばなくていい。急ぎたくもないんだから」

入院生活の始まり

小学校に上がった年の夏。じっとしていても汗ばむ夕方、まだ日のあるうちに早々と風呂に入れられ、糊の効いた浴衣に着替えさせられた。自宅の居間にはいつの間にか親戚一同が集まっていて、皆揃って最上級の笑顔で廉を迎えた。姫路城、ドイツ軍の戦車、ウルトラ怪獣のプラモデルと絵本をもらい「廉、がんばれよ」「すぐ退院できる。ちょっとの辛抱だよ」と励まされ、正直悪い気はしなかった。母親の涙は気になったが「少しの間なら何とか辛抱できる。楽しみでないこともない」とちょっと強がってもいた。

翌朝早く越後線・寺尾駅から、いつも通学で乗るのとは反対側のホームからディーゼル列車に乗って新潟駅まで行き、お昼前には小児療育センターの玄関にタクシーで乗り付けていた。そうなのだ。入院の日はやけにすたすたと事が運んでしまうものなのだ。

心のざわつきに大きな蓋を被せたまま。左半身、特に脚部に麻痺が見られる廉。小児療育施設への入院は、原因の究明はもちろん、これから本格的な成長期を迎える彼の運動能力を伸ばすのが大きな目的だった。さらに小学校入学後、すぐに入院を余儀なくされた廉を預ける両親にとっては、院内に学習施設の受け皿があるというのが何よりの安心材料だった。

初めての診察でベッドに横になった小さな廉に、主治医の佐藤先生は「かけっこ速いか」「いいや」「そりゃ悔しいよな。よし、速く走れるようになろう」。そして「けんかは強いか」「全然ダメ」「そっかー。じゃあ強くしてやるぞ」と、おまじないを掛けるようにゆったり語りかけ、頭を撫でた。

圏央道を相模原愛川ICで降り、カーブの多い旧道を十五分ほど走ると、K大病院に着いた。十三時半と、混雑のピークは過ぎているのではと予想していたが、第一駐車場の空きは屋上階に数台分を残すのみとなっていた。

廉は大きく伸びをして胸いっぱい空気を吸い込み、空が広いと思った。希望していた無料ベッドは空き待ちの状態で、和枝は差額五四〇〇円の有料床四人部屋に入った。一号館五階南棟というところで、窓際の和枝のベッドからは小田急線・相模大野駅方面がすっきりと見渡せた。

病棟付きの若い研修医が現れ、治療開始の挨拶があり、早速、静脈、動脈双方からの血液検査、心電図検査と続いた。主治医の高井潔先生はまだ姿が見えなかった。

検査の合い間に和枝は、二十四時間分の尿を貯めて腎臓の機能を調べる検査の説明を看護師から受けた。抗がん剤治療は肝臓と腎臓の対応力が重要で、今回の検査は腎臓の排毒能力を見るためのものだった。和枝は不明な点は些細なことでもすぐに質問し、淡々と検査に応じている。