山路商の目指したもの

山路家のひとを語るとき、忘れることのできないのが山路商である。商は広島の郷土画家と位置付けられているが、彼の目指したものは郷土広島の画家という枠の中には留まらない。

彼が戦前のシュールレアリズム事件の被害者(当時の権力者たちからは反社会的勢力とされた)となったことは、私達の前著『先祖の足跡を辿れ』に書いたが、彼がなぜその画風に傾倒していったのかは謎のままだった。戦前、シュールレアリズムを思想統制のターゲットとした理由を探るためのヒントを見つけたいというのが、私達のミロ美術館訪問の目的であった。

ミロの作品をひとつひとつ見て歩きながら思ったのは、「政治体制への抵抗」の意志ありと目を付けられるだけの強い要素が含まれているように感じられたことだ。

第一次世界大戦のあと、つかの間の平和の下でヨーロッパでは新たな戦争に向かって国民をぐいぐい引っ張って行く政治体制があった。富国強兵の旗印の下に近代化を突っ走っていた日本においても、これに続けと軍国主義が世の中を覆っていた。そうした状況の結果、第二次世界大戦という未曽有の悪夢が襲ってきたことは私達もよく知っている。

そのような世相のもとに絵画の世界では、新しい動きが見られた。それがシュールレアリズムという形となって凝縮されていく過程で、瞬く間に全世界に拡がっていた。シュールレアリズムに隠された、あるいは潜ませた「支配者に対する抵抗の意志」を当時の政権は敏感に感じ取ったがための思想統制だったのだろう。

一見するとその面白おかしい稚拙な図柄にはそんな危険思想が託されているようには見えないが、その理解しがたい不可思議な図柄にこそ意味があったのかもしれない。

そうした絵画の風潮と当時力をつけつつあった共産主義運動が必然的に結びついていったこともあり、各国の政権は必死でそれを食い止めようと一般市民の日常生活から美術、芸術の領域までありとあらゆるものを対象に、彼らの言う危険思想の撲滅に力を注いだようだ。

ピカソの描いた「ゲルニカ」は、そうした時代背景の下で、共産主義思想を排除しようとするフランコ将軍側の非道な殺戮行為を非難するものだった。次に訪れるマドリッドにそのゲルニカがある。ミロを見て、ピカソを見ることによって何かを感じ取ることができるかもしれないと考えている。