【前回の記事を読む】「自分が許せなかった…」教師を深く後悔させた、生徒の一言

長女の就職の話

四年前の四月から、長女が保育士として、都内の私立保育園に就職した。赤羽駅近くのワンルームのアパートで一人暮らしを始めたのだ。仕事が忙しいのか、つきあいが忙しいのか、めったに帰ってくることはない。

私は、それはそれでよいと思っている。とにかく一人前の職業人として自立してくれたのだから、それ以上に何も望むことはない。強いて挙げれば、無理を重ねて身体を壊さないでほしいと願うくらいである。

思えば、長女の子育ては紆余曲折の連続だった。幼児の頃は、私は、そのかわいさに夢中になっていたと思う。少々年齢が高くなってから恵まれた女の子ということもあり、彼女と一緒にいられる時間を確保しようと必死だった。

当時、私は自宅の隣町にあるM中学校に勤務していたが、夕刻十八時にはいったん自宅に戻り、長女を風呂に入れ、いっしょに夕食をとり、本を読んで寝かせてから、二十一時過ぎに学校にもどり、午前零時過ぎまでワープロをたたき、印刷機を回した。その後、帰宅して床に就き、翌朝の七時過ぎには、学校のテニスコートに立っていた。

その生活をおよそ四年間毎日続けていた。今思うと、よくぞ身体がもってくれたものと思う。体力的にはきつかったが、自ら進んでそんな毎日を過ごしていた。休日の午前中は部活動に専念したが、午後に彼女を公園に連れて行くのが楽しみだった。

そんな長女が、私の意見に耳を貸さなくなったのは、中学校に入学した頃からだったと思う。家の家計が苦しいので、なんとか公立高校へ入学してほしいと話したにもかかわらず、明らかに届かない挑戦をして公立高校の受験に失敗してしまった。

併願した私立高校に入ったものの、毎日八時間の授業と毎週の実力テストの競争に耐えられず、学校を休みがちになった。それを隠すために、朝、駅から逆方向の下り列車に乗って終点まで行き、そこからまた上り列車に乗って時間をつぶしていたという時期さえあった。