その高校を一年で中退して定時制高校に編入した。しかし、のんびりとしたカリキュラムとアルバイトの毎日が、長女にはとても合っていたようであった。

特にアルバイト先の経験は、彼女を大きく成長させてくれた。ほとんどが外食店の店員、つまり接客業であったために、挨拶、返事、礼儀、マナー、日常の話し言葉に至るまで、店主から徹底的に仕込まれたようである。

「生きていく」ということは「働いてお金を稼ぐこと」、そのためには「お客様を大切にし、人を大切にすること」。このとても簡単で不可欠な生きる技術を、彼女は、さまざまなアルバイトの接客の中で学んで身につけていったようである。

定時制高校を十九歳で卒業した長女は、保育士の資格を得たいと専門学校への入学を希望し、無事にその課程を終了し、現在に至ったのである。

三月の末、都内への引っ越しの代金を節約するため、長女は、寝具を含めた日用品の移送を私に頼んだ。久しぶりに私の運転する軽自動車の助手席に座った彼女は、思いのほか饒舌になり、さまざまな話をしてくれた。

「アルバイトで勤めていたお店には、よく父さんの教えた生徒と親が来たのよ。私の名札を見て、珍しい名字だから、もしかしたら……と尋ねる人がいて、あたしがそうだと答えると、みんな笑顔になって、父さんのことをほめてくれるの」

荷物を運んでもらっているので、気を遣っているのであろう。要らぬお世辞である。

「父さんの授業っておもしろいんだってね。あたし、国語が好きじゃなかったけど、父さんの授業だったら退屈しなかったと思う」

世辞もここまでくるとわざとらしいし、ばかばかしい。

「父さんの授業はお笑いじゃないし、父さんはコメディアンじゃないよ」

自分では、多少怒った語調で言ったつもりなのだが、きっと表情はくずれて、顔はにやけていたに違いない。

校内で、気立てのやさしい礼儀正しい女子を見ると、「どうしてうちの娘は、あんな子に育たなかったのだろう」と愚痴をもらしてしまうことが多々ある。そんなとき同僚の女性の先生から、「奈良先生、それはDNAによるものだからしかたがないですよ」と言われると、心の底から納得してしまう。

子どもは、決して親の言うとおりにも、望んだとおりにも育たない。ただ、親のすること、生きる姿を後ろから見て、それを自分の生き方の中に採り入れ、表現していくだけである。親の懸命に生きる姿が、子どもにどのように投影されるのか。それがわかるまでには、かなりの時間と年月が必要であるらしい。

とにかく子育ては、つらいし、苦しいし、難しいし、大変である。しかし、それがわずかでも報われる日が、必ず来るのだと信じる以外に、親として生きるすべはない。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『冬日可愛』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。