娘が「私が行くしかないと思う」と、覚悟した声で言った。義父は、初孫の千博を目の中どころか胃の中、心臓の中、どこに入れても痛くないと言うに違いないほどかわいがっている。二十五歳の娘にはあまりにもむごい役目だが、ほかにどうしようもない。

「あなたにお願いするしかないわね。オーパはいつも八時くらいにお起きになるから、その頃に電話して、行ってくれる?」

「うん、わかった。そうする」

辛い仕事を娘に頼むからには、母親の私もしっかりせねば、と思った。まず、飛行機のチケットの手配をせねば。いったんLINEを切り、日本行きの便をネットで探した。指先は、ちゃんと動いた。しかし、目が何も見ようとしない。日本からここに来るために、何度もやった作業なのである。安売りチケットの料金は目まぐるしく変わるので、博史の分と合わせて二枚、少しでも安い航空会社を探して毎日検索するのが私の役目だった。

「しっかりしろっ」

自分を叱った。

「日本に帰らなきゃいけないんだから。一番早く成田に着くチケットを一枚」

パソコン画面を見る目に力を込めた。ようやく見覚えのある画面が出てきて、作業を進めることができた。翌日午前七時発ブリティッシュ・エアラインを押さえた。日本着は、二十三日午前十時三十五分。遅くとも午後一時頃には自宅に着く。すぐにLINE電話で、娘に伝えた。

「迎えに行かなくてもいい? 大丈夫?」

娘がまた心配してくれた。母親を気遣うことで、かろうじて自分を支えているような声色だった。まさか、このヴェネツィアまで、迎えに来させられるわけなどない。何がなんでも、私は一人で帰国せねばならない。

「大丈夫、ちゃんと帰るから。私よりあなたは? 寝てないんでしょ。少し休んだら」

「うん、横になってる。今、ソファ。ベッドで寝たらオーパのとこに行きそこねてしまいそうで」

「起こしてあげるよ」

「うん……」

「朝になったら、まずオーパのとこに行って、それから……」

こんなとき、何をすべきなのか。暗闇の中で手を伸ばすみたいに、すべきことを捜した。職場への連絡が最優先事項だ。

「九時に、大学の、社会科学部の事務所に連絡してちょうだい」

電話番号を伝えた。

「電話して、何を言えばいいの?」

「とりあえず、連絡して。それから……」

職場に迷惑をかけないようにしなければならぬ。

「S先生のご連絡先を聞いて。それで、S先生に、ヴェニス国際大学への連絡と、このアパートのことを相談して。大学は冬休みだけど、もうすぐ新学期が始まるから、後任の教員を決めなきゃいけないと思う」