7章 退院後の学生生活

下原先生との出逢い

ある春の日、先生が後ろに引っ張られてこけそうな程の大荷物を持ってきた。その正体は何十キロもある重い顕微鏡だった。先生は私に春の花を顕微鏡で見せてくれるためだけに持ってきてくれたのだ。春なのに先生は汗をびっしょりかいていた。

もちろん「ありがとう」の気持ちはあったが、それよりも私は先生の体力に驚いた。私はひどい生徒だ。

どんな名前の花だったかは覚えていないが、黄色い花だった。顕微鏡で見る黄色い花は、何か違うものを見ているかのように、黄色い色はより鮮やかに花弁はまぁる~い形をしていてとてもキレイだった。

先生は他にも違う花を持ってきてくれていて、私は顕微鏡でその花たちを見て絵を描いた。先生のおかげで私は外に出かけた気分だった! 

先生は家庭科の授業だと言ってミシンを持ってきてくれたこともあった。私は器用ではないので、糸がまっすぐに縫えなかったり糸が切れたりした。だが、下原先生は、どんな時でも私を褒めてくれた、「カンナさん、上手ですよ」と優しい声で。

違う日は、先生はその当時珍しかったワードプロセッサーを持ってきてくれ、私はそれで日記を書いた。私は打つのが遅く字も間違いだらけだった。だが、先生は、「やっぱり現代っ子ですね、カンナさんは機械系にも強いですね」と。

先生がせっかく褒めて下さったのに、私はめちゃくちゃアナログ人間に育ってしまった。つい最近、ソーシャルネットワークを始めたばかりだ。試行錯誤しながら覚えていっている。

先生の話に戻そう。調理実習の時間もあった。先生は毎月季節の和菓子を買ってきて下さった。例えば、五月だと鯉のぼりの形をした和菓子だった。食いしん坊な私には、この時間が一番好きな授業だった。

野外活動と称して先生と藍染めをしたこともあった。私は白い生地に上手くおしゃれに藍色を染めることができた! 気付いたら私と先生の両手も染まっていた。私たちは笑い転げた。その時の下原先生の笑顔は胸に焼き付いて笑い声は耳に残っている。

私にとってすべてが素晴らしき思い出だ。下原先生は唯一無二の存在だ。先生のようにどんな環境下でも教育に情熱を持った心の広い思いやりのある教師は世界中どこを探してもいない。

先生がいつも褒めて下さったおかげで私は自信を持つことができた。そして、先生は私に何かを知る楽しさと学ぶ大切さ喜びを教えて下さった。先生から、学ぶことは視野が広がり心が豊かになるということも学んだ。下原先生は私の恩師以上の恩師だ。

私は平野養護学校の小学部と中学部を卒業した。しかし、学校の高校には訪問学級がなかった。私の体調に無理なく通える高校探しが始まり、下原先生もそれをサポートして下さった。

※本記事は、2018年9月刊行の書籍『車イスの私がアメリカで医療ソーシャルワーカーになった理由』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。