8章 大阪女学院短期大学時代

宝物の日々、宝物の心友

大阪女学院短期大学の二年間は決して言葉で表すことのできない特別な幸せな時間だった。丸ごと私のバラ色の青春時代だった。

私にとってはマンガやドラマでしか見たことのない信じられない経験ばかりで、心はやり躍る宝物の毎日だった。私は友人たちとキラキラしたビー玉のように鮮やかな黄色やピンク色の光を発して弾けていた。

楽しい青春を過ごすことでいっぱいいっぱいの二年間だった。学業は私なりに努力していたが、正直なところ、成績は中の中くらいだった。遊びまくっていたわりには上出来だった。

今でも心の友(心友)とは連絡を取り合っている。暫く会っていなくても、会えばすぐに距離が縮まり、女学院時代の頃にすぐにタイムスリップできる。

今年は心友に出逢って記念すべき二〇周年になる。

これもひとえに私の性格の良さ、人徳のなせる業であろう(笑)。昔も今も心友たちはいろいろ全部ひっくるめて私個人を受け入れてくれている。

彼女たちから、「私だからこそできることがいっぱいある」と教わった。心友たちのサポートがなければ、私はこのような楽しき学校生活を送れなかっただろう。

女学院で心友ひとりひとりに出逢えたことは私の誇りだ。

そして、財産だ。

[写真1]大阪女学院短期大学からの心友とミスチルコンサート
[写真2]大阪女学院短期大学からの心友と沖縄旅行
※本記事は、2018年9月刊行の書籍『車イスの私がアメリカで医療ソーシャルワーカーになった理由』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。