第2章 かけるくんの子ども時代

1 出生から幼稚園前まで

では、実際にかけるくんはどのような子ども時代を送ってきたのでしょうか?

健常者とはちょっと違うけど、脊髄性筋萎縮症の方には脊髄性筋萎縮症の方の日常というものがあります。かけるくんがどのような人生を生きて、スピンラザによる遺伝子治療に至ったのかを振り返っていきたいと思います。

かけるくんはお母さんのおなかのなかに30週と5日間いました。普通の妊娠だと妊娠37週から42週に出生するのが一般的で、平均が40週となります。

かけるくんは、前期破水といって羊膜が通常よりも早く破れて羊水が出てきてしまう状態になり、帝王切開で生まれました。

生まれたときの体重は1560g、身長は41㎝、頭の周囲の長さ(頭囲と言います)は28㎝でした。一般的な出生体重は3000g、身長は50㎝、頭囲は33㎝ですので、かけるくんは普通の赤ちゃんの半分くらいの大きさで生まれました。ずいぶん小さく生まれたことがわかります。

かけるくんより重症の脊髄性筋萎縮症1型の患者さんでは、お母さんのおなかのなかにいる時に胎動が弱いなどの症状がすでに出現している場合があります。

しかし、かけるくんのような脊髄性筋萎縮症2型では出生した時点では正常です。したがって、お母さんのおなかのなかにいる間に脊髄性筋萎縮症と判明できることはありません。

一般的に、約12%の赤ちゃんが早産で生まれますが、脊髄性筋萎縮症で特に早産になりやすいということはありません。そのため、かけるくんが早産で生まれたことは脊髄性筋萎縮症とは無関係で、偶然の出来事です。

2ヵ月以上も早く生まれたことと、正常の半分の体重で生まれたことから、かけるくんは小児専門病院に運ばれることになりました。早産で生まれた赤ちゃんは、呼吸をする力が弱かったり、ミルクがうまく飲めなかったり、脳内出血や感染症などの異常が起こりやすくなったりします。

そのため、早産で小さく生まれた赤ちゃんは、普通の産院やレディースクリニックから、より高度な治療ができるNICU(新生児集中治療室)を持つ総合病院や小児専門病院に運ばれるのです。

以前は、このような早産で小さく生まれた赤ちゃんは、普通の産院やレディースクリニックで生まれてから総合病院や小児専門病院に運ばれるのが一般的でした。

しかし、最近は分娩の前にお母さんがそれらの病院に入院して、万全の態勢で分娩してから直ちに赤ちゃんの治療を開始するのが一般的となっています。

生まれてすぐのかけるくんは、ミルクを飲む量が少なかったので、点滴をしなければいけませんでした。しかし、それ以外はほかのお子さんとなんら変わりなく、すくすくと育ちました。

NICUに約2ヵ月間入院しましたが、ミルクをよく飲むようになり、体重も順調に増えました。

退院時には体重2932g、身長45.8㎝とほぼ正常新生児と同じくらいの大きさまで成長して退院となっています。

50日間の入院で1500gほど体重が増えており、1日あたり30gの体重増加があったことがわかります。一般的に、この時期は1日あたり30gの体重増加が見られれば順調な成長と言えるでしょう。

かけるくんは、生後1ヵ月で笑うようになり、4ヵ月で首が座るようになりました。ガラガラを持って上に持ち上げることもできました。生後6ヵ月では寝返りも普通にできるようになっています。生後8ヵ月でお座りができるようになりました。

普通の赤ちゃんでも、生後3〜4ヵ月で首が座り、生後5〜6ヵ月で寝返り、生後7〜8ヵ月でお座りができるのが一般的です。そのため、かけるくんの発達はここまではまったく問題がないと言っていい経過でした。

テーブルに乗りたがるやんちゃな子どもで、かけるくんのおじいさんがお酒を飲んでいるときはいつもお酒のご相伴をしていました。また、手で支えなくても長い時間座っていることができました(写真1)。

この写真からもわかるように、10代になって徐々にひどくなる側弯(そくわん)はまだ出ていません。機関車トーマスを手で持って遊んでおり、手の動きも問題がなかったことがわかります。

[写真1] 手で支えずに座ることができている。左のほうに座っているのはお姉さんと思われる

しかし、その後の発達は徐々に遅れが見られてきます。結局、かけるくんの運動機能はこのお座りができるというところを最高点として、それ以上の運動発達は見られませんでした。

つかまり立ちや伝い歩きは一切できないままでした。普通の男の子と同じように歩き回ったりすることがなく、おとなしい遊びが好きだったため、女の子と間違えられることもよくありました。

一方で、かけるくんのお姉さんも同じような兆候で、発達が遅れていました。お姉さんは病院に通っていても診断がつかず、リハビリを受けても症状が良くなりませんでした。採血や脳波、MRIなどさまざまな検査を受けましたが、病気の原因ははっきりしませんでした。

成人の患者さんと違い、小さなお子さんでは検査をすること自体に難しさがあります。例えば、脳のMRI検査を受けるため外来にお子さんが受診したとします。脳のMRI検査は20〜30分の間、動かずにじっとしていなくてはいけません。

聞き分けの良いお子さんだと5歳くらいから眠り薬を使わずに検査ができます。しかし、5歳以上のお子さんでも少し怖がりだったり、発達がゆっくりだったりすると眠り薬を使わないと検査ができません。また、5歳未満のお子さんではほぼ全例で眠り薬が必要になります。

こういった場合、まず眠り薬を飲ませて、眠ることができるか30分間様子を見ます。それで眠れない場合には、飲み薬を追加してさらに30分間様子を見ます。それでも眠れない場合には、眠り薬の座薬を使ってさらに30分間、様子を見ます。

場合によると座薬を入れたとたんにうんちが出てしまって、もう一度座薬を入れないといけない場合もあります。

飲み薬を使っても座薬を使っても眠れないときは、そこで点滴を確保して、眠り薬を注射します。ここまでくると、軽く2〜3時間はかかってしまいます。

なかなか検査を始めることができないので、MRI室から「まだですか?」と催促の電話がかかってきます。検査が進まないと次の業務に取り掛かれないので、医師も看護師も焦りが出てきます。

お母さんもその状況が良くわかっているので、お子さんが早く眠ってくれないと、とても大きなプレッシャーを感じます。場合によっては、夕方まで粘っても結局眠れないこともあります。

その場合、その日は検査ができないので、別の日に出直さないといけません。それでも、次の機会に検査ができる保証はないのです。

かけるくんのお姉さんも検査を受けるたびに、お母さんは「うまく眠れなかったらどうしよう」と心配し、お姉さんも採血や注射など痛い思いをしました。

大変苦労して検査を受けましたが、お姉さんの病気の診断はつきませんでした。リハビリを受けても一向に良くなりませんでした。

かけるくんのお姉さんがこのような月日を送っていたので、お母さんはかけるくんには不必要に痛い思いをさせたくないと考えました。そのため、医師から勧められても検査は受けず、リハビリも良くならないから意味がないと考え、2〜3歳ごろから病院には通わなくなりました。

しかし、お母さんは、かけるくんがお姉さんとそっくりの症状だったので、何か遺伝の病気だろうとは思っていたそうです。また、かけるくんが7〜8歳のころにNHKのテレビでそっくりな症状の患者さんが出ていました。

病名を調べたら脊髄性筋萎縮症という病気であったので、たぶんその病気なんだろうとは思っていました。

しかし、診断を受けて病名を告知されるのが怖くて、病院には熱が出たときしか受診しませんでした。