第2章 かけるくんの子ども時代

2 幼稚園時代

脊髄性筋萎縮症であっても、3歳になれば幼稚園に通うようになります。かけるくんは幼稚園に通い始めるのに先立って、手動の車いすをつくりました。この車いすは58万円しましたが、障害者医療の補助で、自己負担額は3〜4万円でした。

この車いすは、通常よりも細いタイヤが使われており、動かすのに摩擦が少ないという特徴がありました。そのため、筋力の弱いかけるくんでも動かすことができたのです。

かけるくんが幼稚園に入園するころは、廊下などの平らなところで、自分で漕いで車いすを動かすことができました。また、徐々に側弯が進行して猫背のような姿勢になっていましたが、まだ腰は安定していて自分で座っていることができました。

このとき、お母さんは全額補助の出るバギー(障害児用のベビーカー。後述)ではなく、あえて自己負担のある車いすにしました。

なぜなら、小学校へバギーで登校することは認められていませんでしたが、車いすなら登校が認められていたからです。

そのため、お母さんは早く慣れておいたほうが良いだろうと考えて車いすにしました。

かけるくんのお母さんはいつも、将来かけるくんが自立した大人になるにはどうしたらいいかという観点で物事を判断しています。その考えは、障害者福祉の考え方を10年も20年も先取りしており、素晴らしい姿勢だと思います。

お姉さんは検査ずくめで、脳波やCTのために何度も何度も病院に行きました。そのため、幼稚園には半年しか通えませんでした。

だから、かけるくんには病院に行く代わりに、もっと幼稚園に行かせたいとお母さんは考えました。

また、お姉さんは町立幼稚園に行きましたが、お母さんと一緒でなければ通園できず、特別な配慮もありませんでした。そのためお母さんは、町立幼稚園を選んでお姉さんに悲しい思いをさせてしまったという後悔がありました。

そこで、もっと配慮が受けられるかもしれないと考えて、かけるくんには私立幼稚園を選びました。

こうして、かけるくんは年少さんから名古屋芸術大学附属クリエ幼稚園に通い始めました。バギーではなく車いすにしていたおかげですんなりと入園できました。

今でも問題になりますが、障害があるお子さんだとなかなか幼稚園に受け入れてもらえません。かけるくんのときも、「保護者が毎日ついてきてください」と言われました。

お母さんはお姉さんに付き添う必要があったので、かけるくんにはおばあさんが付き添いました。

かけるくんが最初に幼稚園に行ったとき、ほかの子が全員立っていて、自分だけが車いすに座っていたので、かけるくんは泣きました。そして、

「姉ちゃんが車いすだから、みんなも車いすだと思って幼稚園に来たら、みんな立っていて、僕だけ車いすで違う」

と言いました。お母さんは、今でもその光景が鮮明に残っていて忘れられません。

それまでも立てなかったり、歩けなかったりしました。それでも、自宅ではお姉さんと一緒だったので、かけるくんは自分のことを病気だとは思わなかったのです。

お母さんは、「大丈夫だから」と声をかけることしかできず、幼稚園では言葉が出てきませんでした。それまでお母さんは、お姉さんやかけるくんをかわいそうだと思わないように育ててきましたが、さすがにそのときはかわいそうだと思いました。

しかし、お母さんは自宅に帰ってきて、かけるくんにゆっくりと説明しました。

「かけるはみんなと違うけど、みんな顔も違ったり性格も違ったりしているでしょ。かけるはたまたま立てなかっただけで、みんな一緒だから大丈夫。明日はみんな、声をかけてくれるから」

普通のお子さんでも、保育園や幼稚園に行き始めて1週間くらいは園の送迎バスに乗るのに大泣きしたり、お母さんがいなくなるのを嫌がってしがみついたりします。

しかし、1週間もすれば「行ってきまーす!」と元気に登園していきます。

しかし、脊髄性筋萎縮症のお子さんを持つお母さんは、普通のお子さんにはない大きなプレッシャーを背負わなければいけません。ただでさえ障害があるお子さんは周りの保護者からの冷たい視線が気になります。

しかも、脊髄性筋萎縮症のお子さんは知的に正常なので、周りとの違いがわかる認識能力もあります。

ほかの子は歩いているのに自分だけ歩けないと泣く我が子を、再び幼稚園に連れていくのは大変な勇気が必要だったと思います。

それらの葛藤を1日で整理することは到底できませんでしたが、翌日もお母さんはかけるくんを幼稚園に連れていきました。

そんなお母さんの決意が伝わったのか、次の日、かけるくんは泣きませんでした。わずか3歳の子どもが、手足が動かないという葛藤を1日で乗り越えたのです。

かえって年齢が小さかったことが幸いして、この葛藤を乗り越えることができたのかもしれません。もし、かけるくんがもっと大きくなってからこの種の葛藤に出会っていたら、それを乗り越えることはもっと難しかったと思われます。

大人が心配するほど子どもは気にしていないもので、かけるくんもすぐに幼稚園の雰囲気に慣れていきました。

幼稚園の先生たちも初めはおっかなびっくりでしたが、かけるくんが手足の動きが悪いだけで普通のお子さんと同じだということがわかると、どんどんと親しく接してくれるようになりました。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。