仲間たち

勿論(もちろん)、仲間たちは様々な症状を持っていた。

肝臓と膵臓(すいぞう)がやられて真っ黒な顔をしている仲間、骨頭壊死(えし)で足を引きずって歩く仲間、摂食障害を併発して骨と皮になった仲間、幻覚に導かれて(まち)をさ迷う仲間、……と。

さらに悲惨なのはコルサコフ症という脳萎縮(いしゅく)の仲間で、脳ばかりか体まで萎縮して、病院の地下室でサルのようになって死んでいくという。もっとも、脳萎縮の症状は多かれ少なかれ(だれ)もが持っていて、それ相応(そうおう)に記憶障害や感情障害に苦しんでいた。私自身、鉢巻(はちま)きで頭を締めつけられているような感触が、いつまで経っても取れなかった。私も含めて(みな)がそんな死の影の(もと)に息づいていたのだ。

それにしても、仲間たちの多くが絶望のうちに死んでいった。信じ難いことだったが、アル中の六割が死亡し、三割が入退院を()り返し、一割が回復するという。事実、()り合った仲間たちが一人また一人と姿を消し、死者の数は知り合った仲間たちが増えていくのに従って増えていった。

大抵(たいてい)はスリップといって、酒を()めていた者が再飲酒すると、酒が()まらなくなって死に至るというものだった。それに合併症を併発(へいはつ)して病死する者もいれば、そんな人生を()にして自殺する者もいた。

もともと絶望(ぜつぼう)していた者が、アル中になったのであれば、アルコールを()めて正気になったからといって、絶望が増しこそすれ、無くなることはないのには違いなかった。それに酒という安寧(あんねい)の秘薬が無くなり、禁断症状の苦しみが(くわ)わるとなれば、どうしようもなくなって、スリップ(再飲酒)して死んでいくというのは、むしろ自然(しぜん)なことに思われた。

そんな飲酒欲求は飲まないと()められた共同生活から逃亡することに現われた。何と多くの仲間たちが施設から脱走したり、落伍(らくご)したりしては、二度と帰らぬ人となったことだろう。()げて(ひと)りになれば、飲んで死ぬのが落ちだった。

()なくなって、生きているのか死んでいるのかわからないままに、消息(しょうそく)不明として忘れられた頃になって、あの人は死んだといううわさが(ささや)かれ、本当のところは(なに)もわからないままに、その人は我々の記憶の中の死者のリストに入れられた。といっても、そんなふうにして()んだはずの人に、(まち)でばったり()くわすということもあって、驚くこともあったのだ。