一九七〇年 夏~秋

1 通信簿と子猫の死

当時の子供たちは記念切手の収集に夢中でした。私も例外ではなく、国宝シリーズは『阿修羅(あしゅら)』以外全部揃えていましたし、発売されたばかりの『日本万国博覧会記念切手』も全種類持っていました。

あらゆる切手の流通価格を諳(そら)んじており、記念切手に関する知識は校内随一でした。普段の私は何となくぼんやりした子供でしたが、気に入ったことにはとことん熱中する質(たち)でした。

「切手はほどほどにしときないって、湯浅しぇんしぇにも言われとるじゃろ」

先日家庭訪問にきた担任の女教師に、学校へは切手ブックを持って来ないよう注意されていました。

「わかっとう。家でしかしよらん。ほれに切手はもう飽きた」
「休みんなっても勉強は日に日にせなな」
「するけん。明日からわかんみゃはんじゃ」

大西郷の小学生は約十人いて、夏休みは盆期間と登校日を除く一日置きで若宮神社に集まり、ラジオ体操や集団学習をする予定でした。

「夏休みの友と絵日記も忘っせんようにな」
「わあった」
「昼からは瓜するんぞ」

父に言われてげんなりしました。私は白瓜に生えている細かなうぶ毛が嫌いなのでした。なぜかと言うに、私は家庭科の授業で、人間の赤ちゃんの誕生について学んだばかりであり、それによると赤ちゃんは母親の股間から、臍(へそ)の緒(お)をつけたまま産まれてくるというのです。

実際には、牛の出産で何度もその手のことに立ち会っていましたが、さすがに人間の赤ちゃんの誕生は目にしたことがなく、想像してみるしかなかったのですが、それがたまたま股ぐらから瓜を掴(つか)み出す母の仕草と重なったのです。千切られた蔓臍(つる)はの緒であり、びっしりと生えた銀色の毛が赤ん坊の体毛に見えました。

私の足元に転がった瓜は、母から産まれた忌(い)むべき弟であり、一人っ子の私が憎むべきライバルなのでした。まったく子供っぽい嫉妬からくる妄想という他にありません。

昼飯が終わると、大人たちは横になって午睡(ごすい)をはじめました。食ってすぐに寝てはいかんと言いながら、ほんの半時間でも寝ないことには身体が保(も)たないのでした。

井戸水を循環させる水冷のクーラーが吐き出す風は、縁の下のにおいがしました。クーラーは父が日雇いに行っているビルの解体現場から拾ってきた物です。素人の行った配管の継ぎ目から水が漏れており、ビニールテープを巻きつけたくらいでは止まりませんでした。

私は二階の子供部屋で切手の整理をはじめました。指紋をつけないように切手用ピンセットを使い、一枚ずつ丁寧にパラフィン紙に包んでいきます。それを種類別にストックブックへ収めるのでした。

根気のいる作業に集中していると、開け放った窓から三毛猫のミイが入って来ました。産んで間なしの子猫を連れています。黒の鉢割(はちわ)れ柄(がら)が一匹と、あとの二匹は鴉(からす)の濡(ぬ)れ羽色(はいろ)でした。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。