一九七〇年 夏~秋

1 通信簿と子猫の死

家の門屋を入ると、玄関脇の作業場で、父と母が白瓜のさね抜きをしていました。フジワラが運んだ白瓜は山と積まれ、まだ半分も処理が終わっていません。私は父母の視線を避けるように、開いた引き戸から土間へ入りました。

「はやからもんて来たんか」

炊事場で昼食の支度をしている祖母の磯子(いそこ)が聞きました。ガスコンロの鍋が煮立ち、お櫃(ひつ)は居間の卓袱台(ちゃぶだい)に乗っています。

「終業式じゃったけん」
「給食はあったん」
「ない」
「ほなおまはんも御飯いるんじゃな」
「いらん。どうせおかずは椎茸(しいたけ)じゃろ」

鍋からは苦手なにおいが立ち昇っています。

「良和さんにようけもろたんよ。山い取りに行とったんじゃって」

町で警備員をしている板東良和さんは、休日の山歩きが趣味でした。

「なんな、早いでないか」

奥の便所から祖父の呉市(ごいち)が出て来ました。作業場へは戻らず、一人だけ先に卓袱台につきます。

「椎茸(しいたけ)かいな。梅子に食わすんじゃろな」

良和さんの奥さんの梅子さんは祖父の妹で、小学校前の板東文具店で店番をしています。子供相手に文具の他にも駄菓子やプラモデルを売っていました。

「梅ちゃん、ここんとこ糖尿が悪いみたいじゃな」

祖母がざら目の砂糖を鍋に落としながら言います。

「やめとけっちゅうのに甘いもん食うんじゃけんしゃあない」
「こないだも西瓜(すいか)の食い過ぎで救急車呼んだんじゃろ」
「ほんま困ったやっちゃ」
「椎茸が糖尿に効くんかいね」
「どうせ効けへんわだ」

祖父が鼻で笑います。私は祖母に促されて、水屋箪笥(みずやだんす)から茶碗と箸を出しました。

「バアちゃん、ラーメンして」
「またで」
「おまいはラーメン好っきゃなあ」

祖父は『ゴールデンバット』に火をつけ、大きく吸いこんで、途切れ途切れの煙を鼻から出しました。そこへ父と母が戻って来ます。

「飯にせんで」

祖父の向かいに父は胡座(あぐら)をかきました。マッチを擦(す)って火をつけたのは『しんせい』でした。

「姐(ねえ)さん、健一がラーメンっちょうるけどええん」

祖母が母にお伺いを立てます。

「椎茸食わなあかんじゃろ」
「食うけんラーメンもして」

私は猛烈に腹が減っていました。

「しゃあない。ほなしたって」
「ナミキンツルでええん」

祖母が袋麺(ふくろめん)を選んでいます。

「チキンラーメンがええ」
「お湯かけてフタして三分かいな」
「ちゃう。鍋で沸かして卵入れてな」
「混ぜたらええん」
「ほれでええ」

祖母は一人用の鍋をコンロにかけました。

「通信簿はどこにあるん」

母が頬被(ほおかぶ)りを取って聞いてきます。「これ」結果を見た母は眉間に皺しわを寄せましたが、無言で水屋箪笥の抽斗(ひきだし)に通信簿を仕舞い、お櫃から皆の茶碗に木製の杓文字(しゃもじ)で冷や飯をよそいました。

「次はもっと頑張るけん」
「切手やめなあかんな」

母が笑わない顔で言いました。

「取んりゃげたったらええわ」

祖父がニヤニヤしながら口を挟みます。

「ほんなんイヤじゃ」

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。