二〇二X年 夏

くねくねする右腕

大型商業施設のフードコートの椅子に座り、味の薄いアイスコーヒーを飲んでいました。休日の館内は家族連れで賑にぎわっており、彼らの話し声が鳥のすだきのように反響しています。何かとゴタゴタした東京オリンピックにやっとケリがつき、多くのテナントはセールに結びつけるイベントとして、二〇二五年に大阪で開催予定の万博に照準を定め、さっそく店頭を派手なポップやディスプレイで飾り付けしていました。

紙オムツや医薬品の他に食料をどっさり買い込んだ私は、もうそれだけでぐったりしてしまい、また右眼の奥に違和感があり、急に物が二重に見えたりするので、少し休んだ方がいいかと思い、それでぐずぐずと時間を潰つぶしているのでした。

最近、なんだか身体がおかしいのです。どこといって異常はないのですが、ちょっとしたことで疲れやすく、頭がぼんやりとしてしまうのです。仕事を辞めたので、少し気がゆるんだのかもしれませんね。

とは言え、決して安穏(あんおん)な日々を享受している訳ではありません。私が早期退職を選択したのは、重度の認知症を患(わずら)った老母を自宅で介護するためでした。今日もこれからそれが待っているかと思うと憂鬱(ゆううつ)なのですが、たった一人のかけがえのない肉親ですから、できるだけ施設に入れたりせずに、私がやるしか他に道はないと考えています。

頬杖を突いてぼんやりしていると、二人の子供を連れた若い夫婦が隣の席にやって来ました。彼らは『麺屋 粉(こな)エモン』で『ぶっかけ讃岐うどん』を買っています。

それとなく様子を観察してみると、上の女の子は少しおませな感じで、うどんを食べるのに便利なように、赤い紐で長い髪の毛を一つに結んでいました。とても顔立ちの良い子供で、その大人びた仕草を父親が誇らしげに見守っています。その一方で、下の男の子はちょこまかと落ち着きがなく、顔つきにもどこか胡乱(うろん)な所がありました。

女の子と父親は楽しげに談笑しながら、箸(はし)を使って器用にうどんを食べはじめます。男の子が手にしているのはフォークでした。黒いセル縁の丸眼鏡に引っ詰め髪の母親が介助していますが、男の子は腰のあるうどんに手を焼いているようです。うまく口に運べずにぐずりだし、とうとう癇癪(かんしゃく)を起こしてフォークを投げ出します。

子供のない私は、大変そうだなあ、と思いながら横目で見ていました。と、母親が手提げ鞄から鋏(はさみ)を取り出します。普通の文房具の鋏でした。それを皿に突っ込んで、おもむろにうどんを切ります。それからフォークを男の子に渡すと、今度は上手に食べられるようになりました。

こんなときのために、母親はいつも持ち歩いているのでしょう。鋏がうどんを切るぷつぷつという小気味のいい音を聞いた気がしました。彼らの席からは、なごやかな笑い声がこぼれてきます。

うどんを食べ終えた姉弟は、フードコートに併設された『キッズ・パーク』へ走り、巨大なキリンの首が滑り台になった遊具で遊びはじめました。親たちは子供たちの姿を視界の隅(すみ)にとどめながら、それぞれのスマホを指でつるつるしています。

彼らを見ながら、日本は豊かになったものだなあ、と思いました。今の世の中では、格差社会が固定化し、非正規雇用の人が増えており、子供の貧困が取り沙汰(ざた)されていますが、私が子供だった頃に比べたらどうなんでしょう? 

贅沢品の溢れる現代は、見かけ上とても裕福になった気がします。ですが、得体の知れぬ閉塞感に覆われているのもまた事実で、これは経済的にも平均以下の私が病気の老母を抱えて、袋小路(ふくろこうじ) に入り込んでいるせいかもしれませんが、それにしても昔は何をしたっていずれきっと良くなるだろうという、根拠のない楽観に満ちていたような気もします。

今の若い人たちがどう感じているかはわかりません。昔は今より良かったなどと、つい贔屓(ひいき) してしまう老人の感慨(かんがい)ですけれども。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。