第一章 社会は変わる、変わるから新しい時代となる

不動産鑑定士になる

戦後二十年、私が社会に出た当時の日本は、体力で言えば力溢れる青年みたいなもので、日本は発展途上国に位置づけられていました。

復興を目指す日本は、全国で道路、港湾等へのインフラ投資の必要性が高まっており、銀行は企業融資に「土地本位制」を採用していました。土地本位制とは最近では余り聞かれない制度ですが、銀行が企業に融資する場合、企業が土地を担保に差し出す制度です。

敗戦の陰りが、まだ色濃く残っていた日本、企業はゼロから出発していました。主要企業といえども技術力は未熟で、当時は土地以外確たるものを持ち合わせておらず、銀行は企業への融資に土地本位制を執らざるを得ない状況になっていました。

しかし、土地評価法がバラバラで一貫性のない状況にあり、目まぐるしく発展する社会の中で確たる土地評価制度が存在しない日本。当時の日本はバランスを欠く宙ぶらりんの格好、状況になっていました。

このチグハグな状況を来日した外国人と日本語の関係で例えてみると、来日外国人は日本人と接する場合、日本人が標準語でなく薩摩弁、東北弁、京都弁、大阪弁といろいろな各地の言葉で対応すれば、外国人は面食らい、狼狽するのが当たり前となります。

統一された標準語が存在しなければ、訪日客は話し言葉に困り、仕事の目的や遊びが中途半端になるものです。

昭和四十年代の日本は、列島改造ブームもあって、皆が土地に奔走している時代でした。このような時代に土地評価に統一性がない場合、訪日した外国人のように国や企業、そして国民も狼狽し、国全体が宙ぶらりんの状態になるのは当然の成り行きです。

私は、日本に土地価格査定に統一性のない状況を目の当たりにし、日本経済が混乱することを「察知」し、日本がこれから向かう時代、方向を「予知」し、不動産鑑定士になれば社会に役立ち、貢献できると確信しました。

私は躊躇することなく不動産鑑定士になることを決意し、不動産鑑定士試験に挑戦して運よく合格を果たすことができました。独立した私は、三十代前半の若い不動産鑑定士でしたが、待っていたかのように、多くの企業や関係者が素直に私の鑑定を受け入れてくれ、私も社会の役に立つべき心構えで接し、やりがいのある順風満帆の日々を過ごすことができました。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『特性を活かして生きる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。