認知症ともの忘れ

以前使われていた「痴呆」の「痴」は、ヤマイダレに知ると書きます。

つまり、「知ること」ができにくくなって、ボー(呆)とした状態を示しています。このことからも分かるように、「痴呆」は、心筋梗塞や肺炎などと同じように病気の特徴なのです。病気になると、本人や家族は困ります。「認知症」でも同じで、言葉は変わっても病気であることには変わりません。

認知症の人や家族の苦労を何とか助けることが医師、介護士、看護師など医療に携るものの使命です。

「認知症はものを忘れることによって、死への恐怖心を取り除くための準備段階」という見方もあり、さらに「認知症は宿命」とする考えにも三分の理はありますが、困っておられる周囲の方々や困惑している本人を見ていると、そんなノンビリしたことは言えません。

宿命などといいますと、家族は怒って二度とその医師には相談しないでしょう。認知症は宿命ではなく、神経細胞が障害される病気なのです。「認知症」と似た言葉に「もの忘れ」があります。この二つは使い分ける必要があります。認知症の人は必ずものを忘れますが、ものを忘れても認知症でないこともあります。

そこで、もの忘れについて少し考えてみました。広島県尾道市出身の映画監督・大林宣彦さん(2020年4月逝去)の作品のなかで、主人公が相手に「人間に備わっている、一番大事な特性は何ですか?」と尋ねるシーンがありました。

問われた相手は、「ものを作ることです」と答えました。すると主人公が「ものを作ったのは神様で、大地や空気などは人間が作ったのではありません。人にとって至高の特性は“忘れる”ことです」と返答したのを覚えています。