認知症をめぐる社会の動き

2004年に痴呆症という名称から認知症に変更された背景に、この病気の捉え方に対する変化があります。有吉佐和子氏の小説「恍惚の人」(1972年)は、日本社会における高齢者の介護問題を世間に知らしめた作品ですが、「恍惚(こうこつ)の人」はすなわち「ボケ老人」を意味した言葉として、ちょっとした流行語となり、この作品は映画化(1973年)もされました。この小説は、今日の高齢者問題・認知症を正面から取り上げた先鞭といっていいでしょう。

認知症が宿命ではなく、病気と認識されるにつれて、認知症の診断や治療に多くの努力が払われるようになってきました。と同時に、アルツハイマー病などの病気がどんな仕組みで起こるかも徐々に解き明かされてきました。この中から、ドネペジル(アリセプト®)などの認知症の治療薬も使用できるようになりました。

一方、認知症の人は家族などの献身的な努力によって、より質の高い生活が送れるようにと種々の工夫がなされてきました。その中から、呆け老人をかかえる家族の会(現・認知症の人と家族の会)が生まれ、全国的な組織になりました。

さらに世界各国の同じような組織と提携して国際アルツハイマー病協会が組織され、2004年京都で第20回国際アルツハイマー病協会国際会議が開催されました。越智俊二氏ら認知症の人本人が登壇し偏見解消を社会に訴え、認知症のケアが外部からの見方のみでなく当事者の心に添ったケアに転換するターニングポイントになりました。(註:故越智俊二氏は若年性認知症をテーマとした映画「明日の記憶」のモデル)。

本国際会議は2017年第32回会議として京都で再び開かれ、認知症についての認識を世界的規模で高めました。認知症の研究、治療・ケアについて最新の優れた実践を学び合うことを目的にして、77か国から約4000人が集まり、認知症の人本人は過去最多の約200人が参加しました。