その源流として、私に思い当たるものの1つが紀貫之の土佐日記です。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。

その書き出しは、男性である紀貫之が、「男性の真似をする女性」のふりをしていますよ、こういう「お約束」を前提に読んでね、という読者に対する但し書きです。

これは、先に挙げた私の友人Aと類似の嗜好を紀貫之が持っていたということではなく、この時代に、男言葉と女言葉という形式の区別に加えて、男の論理と女の論理のフレームワークに対する俯瞰的視野が存在した、ということだと思います。

平安時代の、「男もすなる日記」とは、貴族が公的な記録として日々の行事について作法や手順を漢文で記録するためのものでした。

そして土佐日記が「女もしてみむとて」と断りをいれているのは、これを仮名で書く、という意思表示です。公的な文書はもともと、大化の改新にともなう律令制度のもと、律令法の公式令に定められた文書フォーマットで作成される決まりでした。

そうして作成された文書を公式様文書(くしきようもんじ)と呼んでいます。そのフォーマットは、隋、唐を手本としており、漢文、楷書で書かれる決まりとなっていました。

日記もまた、公式文書としてその形式を踏襲していったことでしょう。仮名で書いた理由としては、細やかな心のひだを漢文では表現できなかったから、とか歌人である紀貫之が仮名のほうが得意だったから、などの説があるようです。

どちらにせよ、平安文学の本流は、仮名文学の世界です。古今和歌集にはじまり、土佐日記、源氏物語、枕草子などに連なる流れです。

そしてその流れを主導したのは女性でした。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『intelligence3.0』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。