生きるためのインテリジェンス

――これからの自由――

仕事について「会社なんかやめて独立すれば?」という感じのアドバイスは私のまわりの至る所で繰り返されているように思いますが、「そろそろ組織の中で仕事をしなよ」と言うようなアドバイスは、私の身の周りではあまり聞きません。つまり、「組織」の一員となって働くことの意義を正面から説く人はあまりいないように思うのです。

働き方としての理想の在り方は、独立や起業であって、組織の一員として仕事をすることは、仕事の質よりも経済的理由やリスク回避を重視した「仕方のない」選択の結果であるかのように主張する人もいます。

しかし実際には、私たちが享受している社会サービスは、個人の才覚によってではなく組織の力によって私たちの手許に届けられているのであって、それを私たちは皆知っています。

P・Fドラッカーは、その最も有名な著作「マネジメント―課題・責任・実践」の前書きにおいて、こう述べています。

われわれの社会は、信じられないほど短い間に組織社会になった。しかも多元的な社会になった。…(中略)…この変化に気づいたとき、「くたばれ組織」との声が上がったのも無理はない。だが、この反応は間違っていた。なぜなら、自立した存在として機能し成果をあげる組織に代わるものは、自由ではなく専制だからである。

…(中略)…組織が成果をあげられないならば、個人もありえず、自己実現を可能とする社会もありえない。自立を許さない全体主義が押し付けられる。自由どころか民主主義も不可能になり、スターリン主義だけになる。自立した組織に代わるものは、全体主義による独裁である。…(中略)…したがって、自立した組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方法である。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、マネジメントの力である。

成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手だてである。

ドラッカーは、組織には自由がない(あるいは制約される)、という主張には同意しません。むしろ、組織なくして自由は存在できない、そして自由を守るために、組織にはマネジメントを通して成果をあげる責任があると主張します。

中東における民主化運動の一部に見られるような、既存組織の解体がより強固な独裁を生んだり、「成果」が不足していた企業で独裁的な職員管理が行われたり、というニュースは、ドラッカーが考える組織の責任とマネジメントの役割の必要性を実証しているようです。