紀貫之と日本語の欠陥

紫式部の源氏物語はある意味で土佐日記とは対照的です。紫式部は男性主人公の物語を仮名、つまり女性の文体で描きました。女性作者が「女性の文体」で男性の論理を語ったわけです。

小説家であり古典文学の現代語訳と二次創作でも有名な橋本治は、そんなわけで男性一人称語りに翻訳して「窯変源氏物語」を書き直したのだそうです。

「女が漢字を多用して文章を書けば、「女らしくない、教養をひけらかしている。」という非難がやってくる」時代の作品である「『源氏物語』が、実は、漢文のレトリックで書かれたものである……」(橋本治『ぬえの時代』79ページ)

「漢文、男性、公的文書」「仮名、女性、私的文書」の枠組みは、明治維新以降、変容していきます。

文語体、口語体に置き換えられ、そのうえで言文一致運動の嚆矢(こうし)となった二葉亭四迷や夏目漱石などの作家によって近代日本語は、江戸時代の日本語から劇的に変化していきます。

そして、「漢文」は実務からお飾り的な教養へと位置付けを変えていったのでした。

では、漢文の持つ形式性、論理性に相当するものを新しい日本語は備えているのでしょうか。

明治時代、新しい日本語に最初に苦労し、被害を受けたのは軍隊でした。

金田一春彦によれば、西南戦争の際、3番目の中隊を前進させるために「三中隊、前へ」と号令したところ、全三中隊が前進し甚大な損害を被ったため、以後日本陸軍では、序数の場合は「第三中隊」、基数の場合は「三個中隊」と表現するようになったそうです。(金田一春彦著「日本語(下)」)

論理的な意味の伝達という点で、できたばかりの標準語は欠陥だらけでした。