第1章 導入

第2項 2017年5月20日

シリーズを通して棋士は、潔くも見える無言の中、結果を出すことに終始した。ルールに於いても、少しでも棋士の勝ち数が増えるための調整に専念し、この戦いの意義を掘り下げどう位置付けるのか、それについてのアピールは乏しかった(私にはそう見えた)。

「仕方ないよ、コンピュータは進化しちゃったんだから。」

たまたまBARで話題に上(のぼ)り、ある人は言った。“棋士よりコンピュータの方が強い”という結論じみたものに決着することに私は不完全燃焼感があった。しかし、それから更に考えるに連れ、その見解はいささか直情的に過ぎ、余りにも短絡的なものだったことに気付いた。

急速に進化し瞬く間に頭角を現した人工知能なるものが、棋士という人間の知の最高峰の一角、文化的伝統の担い手たる存在を脅かしている。その事に対し私の内にヒステリックな反発があったことは否めない。ヒステリーはその内に常に怯えを含んでいるものだ。将棋に複合的な価値や魅力を十分に認めながらも、将棋は勝負事でもある以上、棋士の頂点に君臨する名人に負けてほしくなかったのだ。

それから一月余り、行き着くところまで戦ってほしいような、もうこの様な対戦は見たくないような、やりきれない思考が堂々巡りした。私の心を沈めたズシリとした重味だけは、胃に消化しきれない異物のもたらす胃もたれのように、何時も絶えず頭の一角を占めていた。

“人工知能と棋士の指す将棋。”

思考のスタート地点から間違っているのかもしれない。私はそう思い、両者を一度、明快に峻別してみることにした。本稿の構成はその試みに沿っている。

時が経ち、その日の衝撃が幾分は和らいだせいもあるだろう。私の考える棋士と人工知能の関係性は変わった。どの様に変わったのかは2章から12章の本編で述べていきたい。

前編では人工知能を、その属性について、延(ひ)いてはそれが我々に及ぼすであろう影響について、努めて冷静に引いたところから眺めた。後編では、将棋とそれを指す棋士について、私がそこから何を受け取り与えられてきたかを改めて振り返り、それを手掛かりにその価値というものについて考察した。

本稿は、人間が創りだした将棋という対象の素晴らしさと棋士の(延いては人間の)存在意義を、同じく人間の創り出した人工知能の出現によって脅かされながらも再発見するまでの私の思考の足跡を記したものである。なお、将棋をメインテーマの一極としながらも、将棋については詳しくないが人工知能と人間の関係に興味を持つ方々にも広く読んでほしいという思いから、具体的な将棋の局面の考察はせず、将棋のやや専門的な知識を要する部分については補足的な註釈を添えた。この書籍を契機に棋士や将棋を好きになって頂けたら心から嬉しい。

導入としての前置きは以上である。さあ、いよいよ本編に入り、考察を始めよう。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。