第5章 繋ぎ

第1項 繋ぎ

以上で本稿の[前編]に当たる、棋士の(実は人間の)存在意義にぶれずに真っ直ぐに問題を提起した「人工知能」に対する考察は終わりとする。

画像に撮ったある物の大きさを正確に伝えるためにその横に例えばタバコの箱を置くように、私は棋士の横に人工知能を置き、それを眺めた。「棋士の将棋」との比較対象としての「人工知能」とは、一言で言えば、合理性・効率性を精緻な計算に基づき貫徹・遂行する装置・存在である。

その人工知能は、あまねく、あらゆる領域に於いて人間が担ってきた活動に代替しつつある。ゆえに今、世界の構造が大きく組み換えられる過渡期にある。

私は世界に絶望はしていない。故に、エアコンのない和室で、2機の時代遅れの型のファンヒータ(一つはタイマー設定すらない危険な代物だ)に自分を挟み、炬燵(こたつ)に足を入れ、かじかむ手先を励ましながら明け方の静かな世界に思考している。

人工知能について深く考察してみて、改めて気付いた事がある。それは、人工知能の進化のもたらした利益も含めた変化の大きさもさることながら、それ以上に、我々自体の意識の変化が急速に進んできたのだな、という事だ。

私たちは未だかつてない速度と精度で目的達成をこなし、矢継ぎ早や、また次の目的達成に向かいながら、同時に対象を“唯一つの軸からの即時評価”という平板な眼差しで見ている。棋士の代表格である渡辺明棋王は、「将棋指しも『不要な職業』になるのかもしれない。その答えは、これからの数年で出ちゃうと思う。」(『将棋「名勝負」伝説』〈別冊宝島〉より)と述べた。