大人の世界へ

昭和四十一年、高校を卒業したが、現役での大学入試に失敗した。高卒で就職をするなんてことはさらさら考えていなかったが、親に現役の国公立以外はだめ、と言い渡されて、大学進学をあきらめ、十八歳で就職をすることになった。

両親は三人の子供全員の大学進学を考えていたはずだと思うのだが、家計が困窮していたのだろう。男二人、女一人の兄弟の中で、男の子は何としても大学まで行かせると決意していたようで、娘に進学をあきらめさせることが筋道だったようだ。

親にとっては苦渋の選択だったとは思うが、兄が浪人の上、私立の同志社大学に通っていたので、当時は不公平感に納得できず、イライラしていた。

だが二年後、弟が現役で京都大学に合格した時は、自分の目から見ても、どちらかと言えば、私より弟の進学の方が、価値があるようで、両親の選択は間違っていなかったのかも知れないとやっと飲み込むことができた。

弟は教育ママならぬ、教育姉貴だったと、後日、私のことを表したが、何としても合格してほしくて、進学に関して、弟に何かと働きかけた覚えがある。この頃、すなわち、自分の兄や弟が大学生だった頃、日本は学生運動の嵐が吹き荒れていた。

毎日国内のあちこちで学生のデモが行われ、テレビのニュース番組は、『安保反対』『ベトナム戦争反対』のシュプレヒコールであふれていた。御多分に漏れず、兄も弟もこの波の中にいたので、私と母は、落ち着かない心持ちで、テレビのブラウン管の中のデモ隊の列に、兄や弟を探した。

特に機動隊に殴られている学生を見ると、兄ではないかと目を凝らしたものだ。大勢の学生が検挙され、追い立てられてトラックに乗せられている様子など、毎日ハラハラしながら見ていた。

若者たちが、大人に非難されながらも、権威に抵抗し、少しは意思表示をし、自分たちの生きている意味を伝えようとしている姿は、もう学生ではなくなっていたが、若い自分の胸にもわずかに通ずるものがあった。