まず心房を観察する。テキストに従い、右の房室口から、右心房をのぞく。発生学で既に習ったことだが、左右の心房の間の壁の役目をする心房中隔には、卵円窩という壁が薄くなっている部分がある。もともと発生学的に最初は穴が開いていて、左右の心房は一部通じているが、やがて閉鎖してしまう。

その部分が他に比べて薄いのが卵円窩だ。その閉鎖が不完全で穴が残ると、卵円孔と呼ばれ、心房中隔欠損症になる。しかし、ゾンデ、針金が通るくらいの穴なら、遺体の20%に見られると、解説してある。

つづいて、右心房への下大静脈の入口部にゅうこうぶを観察する。下大静脈弁を確認する。心房の内面は、左右の心耳の部分では筋肉が柱状に隆起する。そもそも左右の心房から耳のように突出する心耳とは何のためにあるのだろう。

心室では、まず房室口と房室弁を観察する。左が僧帽弁、右が三尖弁だが、僧帽弁の方が高い位置にある。左心室の壁の厚さは、右心室の2倍ほど厚い。これは、主に肺だけへ送るのと、全身へ送る差だろう。

次に大動脈弁と肺動脈弁の二つの動脈弁を比べるのだが、そのままではホースのような管が邪魔なので、成るべく根元近くで切断する。二つの弁の内側の、三つの半月弁の配置は対称である。発生学的には、1本の管が割れて出来たという。そして、心臓には小さな三角形の硬い部分があって、馬などでは実際そこが骨になっていると言う。

次に弁を調べる。左の僧帽弁をメスで切り取り、裏側に付着する紐のような、腱索をも切断する。テキストには、弁の側か、心臓壁側か、或いはそれ自身を切断するのか記載されてないが、心室内の観察をする時、邪魔になるだろうから、壁側で切断する。

すると弁がはずれて、心室の中の黒い塊がはっきり見える。凝固した血液だ。死後、遺体から血液を抜くとは聞いているが、完全になくすことは不可能で、このように臓器の内部には残ってそれが固まるのだろう。死が生々しく感じられた。

心室中隔は、左心室側から右心室方向へ向かって凹面、すなわち引っ込んでいると記している。実際そのようになっていたが、全身へ血液を送る左心室の方が、圧力が高いからだろう。

言われてみれば当然だが、気が付いた人は偉いと思う。コロンブスは卵を立てた。ニュートンはリンゴが落ちるのを当たり前と思わなかった。

また、テキストによれば、右心室は樽型の左心室に平たい帽子が抱きついた形になっていて、容易に分離できるという。具体的には、右心室内部の筋肉を心室中隔から分離し、網の目のような筋柱や特に目立つ柱のような、中隔円柱を切断するとできるらしい。要は、内部の邪魔者を切断してゆけば良いのだろう。

他の班を見ると、丁寧に切ってゆくもの、手当りしだいに切りまくる乱暴者もいる。

一方で、そうした暴挙を批判しつつ、一方ではややこしい手順ともどかしい手先とに、彼等に共感しつつある自分を感じた。

じっくり、丁寧にやらなければならない、やりたいのは事実だが、時間が足りない。人生だって心豊かに過ごしたい。それには金銭も時間も余りに足りないのが、普通の人生ではないのか。そんなことまで発展して考えた。

ともかく、丁寧にでもなく、乱暴にでもなく、筋肉組織らしいものを切断して、心室にもはやそれらしいものが残らなくなると、左右の心室を左右の手に持って引っ張ると、嫌々ながらのように、分離された。

心臓という、最重要臓器が、こんなふうに分解されるとは、想像もしていなかった。詰まる所、心臓は筋肉の壁を持つ四つの部屋とたとえられるが、そのドアが弁として一方通行になっている。ちゃんと逆流しないように作られている所は、自然の偉大さ、あるいは神の御わざと言える。

間違いなく最重要臓器の一つではあるが心臓はこれくらいにして、次に移らなければ時間がない。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『正統解剖』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。