心臓を切り出し分解する

実習は次に縦隔に移る。縦隔とはなんであるか、の解説が最初に書いてある。

左右の胸膜腔に挟まれた空間のことをいう、とテキストには定義しているが、簡単には左右の肺の間の空間と理解して良い。前面を胸骨や肋軟骨、後面を胸椎や肋骨頸、下方を横隔膜などで囲まれた部分で、心臓や気管等を含んでいるが、上方は頚部に開放している。

この概念を理解した後、内容物の解剖に移る。横隔神経は重要であるが、前斜角筋の前面を斜走した後、鎖骨下静脈と鎖骨下動脈の間を通って胸腔に入ることを目安に見つける。横隔膜の運動神経線維以外に、胸膜、腹膜、心膜の感覚線維も混在するという。

一般に、胸椎の3番から5番にかけて始まる、とテキストにある。それがどうした、と言いたいが、横隔神経捻除術という手技の際、見つけにくいC5からの根を切り残すと手術の効果が減弱するという。

他に縦隔には、胸腺、心臓、上大静脈、大動脈弓、気管、胸管、迷走神経、胸部大動脈、奇静脈、下大静脈、リンパ節が密に入っている。

まず、心膜をかぶったままの状態で、心臓に出入りする大血管を観察する。大動脈、肺動脈、上下の大静脈、そして肺静脈。この位置関係も決まっているのだろう。

自分の心臓からもこんな太い血管が出ているのか、と思うとなんだかゾッとした。今この瞬間にも、大量の血液が太い血管群を潜り抜けて身体中駆け巡っているのだ。

普段何も意識していないだけに、その血管の破裂した時を想像すると、空恐ろしい。この間外科で解離性大動脈瘤という疾患を習ったばかりだ。左右の腕頭静脈が合流して上大静脈になる。

大動脈弓からは腕頭動脈、左総頸動脈、左鎖骨下動脈が分岐し、大動脈弓の下では、肺動脈が左と右肺動脈に分かれる。

また大動脈弓の前面に迷走神経が下降し、大動脈弓の下縁に達したところで1本の枝を出し、それは後ろへ回りこんで、左反回神経という……頭がくらくらするのは、疲れてきたせいだろうか。

しかし、慣れとは恐ろしいもので、わからないなりに先へ進むことに罪悪感を持たなくなってきた。それにしても、本当に中間試験などあるのだろうか、僕はまだ否定的な予想をしていた。

しかし、それが当たればいいが、外れるとすると考えるだけで怖い。そう言えば、解剖学実習の初日にも僕の予想は外れた。

予想といえば、竹田君が誕生パーティーに僕を誘ってくれたのは、全く意外なことだったが、さっき近づいてきて耳元で、出席の件どうする? と確認に来たので、うん行くよと答えた。

次に、心膜腔を開く。心膜を十文字に切り開くべく、まず大動脈の起始部から心尖しんせんに向かって直線に鋏を入れる。ついで、この線の中程あたりから、これと直交する分割線を鋏で入れて、心膜を十字に開くと、心外膜をかぶったままの心臓の全景が見える。

左に寄っているという自分の知識を確かめる時が来た。思っていたより、遥かに大きく、かつ身体の真ん中ほどにあった。やや左に傾き、右心室が前になるように、少し回転しているというのが、正確な表現らしい。