祖母のことについて

前述のとおり私の家は兼業農家で、両親は共働きでした。そのため、私は主に祖母に面倒を見てもらっていました。

祖父は私が1歳の夏に亡くなっているので、残念ながら記憶にありません。祖母はその当時の隣村から嫁いできた人で、温厚な優しい女性でした。

ここからは、小さい時から慣れてきた「おばあちゃん」の呼び名で書きますが、このおばあちゃんからはいろいろなことを学びました。

小さい頃は、ごはんを残すと

「ごはん一粒の中には仏様が3人入っているのだから、残してはもったいない。仏様に失礼になる」

と言われました。大人になって仏縁に会ってからその意味がわかりましたが、そんなことを言われて育ったので、よくおかわりをすることはあっても、よほどのことがないかぎり残すことはしませんでした。

おばあちゃんの実家は、以前は裕福な家だったと聞いていました。しかし、悪い人にだまされたか事業に失敗したか何かで、あまりよくはなくなっていったというのを別の人から聞いたことがあります。そのせいか、

「人を愛し、人に親切にすることはとても大切だけど、保証人になったりするのはだめだ。そうするぐらいなら、持っているお金をあげなさい」

というおばあちゃんなりの人生訓を教わりました。

私が子どもの時のことだから今から40年以上前のことですが、おばあちゃんはあの当時としては現代的な考えを持ったところがあったと思います。

「煮物は昔から食べてきたので飽きた。カレーがやっぱり一番やな」

と言うことがあったりして、私はおばあちゃん子でした。前にも書きましたが、

「お前のひいおじいちゃんは、隣の村との境に道がなかったので私財を投じて道を造った人だ」

とおばあちゃんから聞かされました。また、曽祖父は村の人からとても慕われ、村長のような代表になってほしいと懇願されたが、学のない者がそういうものになるものではないと断ったとも聞いています。

織田町の歴史にそのようなことはあまり書かれていません。しかし、この曽祖父の話を聞いて、先祖にそうやって周りの人のために尽くした立派な人がいるのだということが、まだ小さかった私の心に刻まれました。

私の出身地はもとは織田町という当時人口5000人弱の町で、今は市町村合併で丹生郡越前町織田となっています。ここは昔は織田荘といって織田信長のご先祖の故郷だった所で、織田氏は今でもある劔神社の神官の出身だといわれています。

このことが、織田の人にとって誇りにもなっています。私は誇りを持ったり待たせたりすることは、とても大切なことだと思います。そうすることが、その人の向上心や自分を律する心の源になり、また目標になると考えるからです。

福井県三方出身の佐久間艇長の実話と遺書は高く評価され、当時イギリス海軍の教科書にも載ったそうです。これは、おそらくイギリスにはそのような立派な人物が過去に存在しなかったから載せたのであって、外国人ということで載せたのではないと思います。

この佐久間艇長のように他国でも高く評価されているような人物は、地元の一部では知られているのかもしれませんが、福井県全体や日本全国においては、どれだけの人が知っているのかは疑問です。