三越以下、ほとんどの通販会社は食品の流通については慣例で問屋から仕入れ、メーカーとの直接取引はほとんどなかった。

当然メーカーから直接仕入れができれば通販会社は安く買えるが、メーカー→卸問屋→小売業者という物流の商慣習がシステムとして出来上がり長年守り続けられていた。

それまで食品はスーパーなど店頭販売が主流だったが、物流や情報が発達するにつれて消費者のニーズの多様化に対応しようと各社競ってカタログ販売に進出してきた。

これら流通のトレンドである通販業界にとって「陶器釡めしメーカーである上野食品が問屋を通さずに、小売業者である通販会社と直接取引をする」というこのやり方は、仕入価格が安くなるのを望んでいる大手のデパートと大手通販会社にとって願ってもないことであった。

それゆえに簡単に取れない新規口座を次々と獲得することができたのである。

価格も情報もメーカーと直接取引したほうが通販会社にとっては有利であり、それを可能にしたのが宅配システムとパソコンの普及であった。

通信販売業界はさらに消費者に近づくことが可能になったのである。その流れにどこよりも早く上野食品は乗ることができたと言って良いだろう。

その後、紙媒体のカタログの通信販売はますます発展し、一九九五年頃から十五年間、パソコンによるネット販売が本格的に普及するまで全盛時代が続いた。

振り返ってみれば、不思議な縁によって人に出会い、活路が拓けたお陰で、その後の事業があったと言える。

カップみそ汁の開発を思いついたのはわらべや日洋の大友社長に出会ったからであり、陶器釡めしの開発のきっかけを作ってくれたのは千代倉さんで、大手スーパーに売込むために国分の新規口座を開いてくれたのは掛札さんである。

三人にお会いしていなければ上野食品がどうなっていたか想像もつかない。

大友社長は亡くなってしまって誠に残念だが、掛札さんと同様、千代倉さんとのご縁も大切にし、四十年以上経った現在も感謝を込めてお付き合いしている。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『復活経営 起業して50年 諦めないから今がある』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。