もちろん意思次第だ。三日坊主にならないためには、どんな方法があるか考えて(あるいは調べて)、ベストなものを選んで実施することで、完遂までは保証できないが、自分の意思で完遂に向けて工夫はできる、と言われるかもしれない。

しかしながら、どんな方法があるか考えたり調べたりすることを思いつくかどうかは、偶然・運である。意識して思いつけるものではなく、たまたま思い浮かぶ。

一つ補足。最初に基準の変更が意識された時点で、基準の変更が完遂していることもある。例えば、引き締まった身体と自分の姿のギャップに愕然とした時に、引き締まった身体に何がなんでもなる、と鋼鉄の決意(引き締まった身体になることの快が非常に強い)をする場合。三日坊主にならないのは、既にその時に基準の変更が完遂しているからで、意思が強いから完遂できた、というのとは違う。

 

つまり、意識的に意思決定・アクション選択の基準を変更することはできず、編み込まれてきた物事と、日々起こる何かや誰かとの出会い、たまたまの思いつき、といった偶然・運で基準は変更されて行く。

ここで、誤解の無いように念のため一言。結局のところ自分が変われるかどうかは偶然・運だから、何をやってもしょうがない、と結論付けたいわけでは全然ない。変わるためのいい方法を見つけた人は、変わる可能性はもちろん高くなる。ただ、変わろうと思えるか、いい方法を見つけようと思えるか、いい方法に出会えるかは、運・偶然だ(意識的にコントロールできない)ということ。

ちなみに、何をやってもしょうがない、成り行き任せがいいんだ、と意識することは、ニュートラルなスタンスではなく、成り行き任せが快だという編み込みを積極的に行っていることになる。この点については、2章の決定論とモチベーションの項で改めて考察する。
 

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『意思決定のトリック ―身近な体験に基づいた人間理解―』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。