余談 世界像あれこれ

異なる世界像との出会い

幽霊もそうだが、宗教や価値観は統一することは困難だし、統一することが必要でも無い。

異なる世界像との出会いは、違和感を伴うが、自己拡張のきっかけでもある。生存を脅かすことの無い限り、相互に許容・尊重し、いろんな世界像があることを楽しむことで、いざこざは減る。

世界像の安定化

子供が、世界像の編み込みをするのは、まず身近な人とのやりとりの中。そのため、身近な人との関係が不安定だと、編み込まれた物事が、不安定にならざるを得ない。

例えば、(実体験ではないが)特に六歳くらいまでの子供にとって、指示されたことをやったのに怒られたりするなど家族が信頼できない場合は、すべてが不安定で不安になるだろう。

ある程度安定した世界像が確立すれば、その後は、世界像の維持・拡大における、他者への依存度を少なくすることができる。例えば、本が友になったり、ゲームの世界に浸ったり。

究極の世界像安定化策は、自分で作ったストーリーの中で自分を褒める(承認する)こと。これは、外部依存度がゼロでコスパが良い。なお、独りよがりのわからず屋、になる可能性はあるので要注意。

世界像とメディア子供の頃、『わんぱくフリッパー』、という米国のドラマが日本でもテレビ放送されていた。

海辺に住む家族の話で、子供達はイルカのフリッパーと友達。ドラマの中では、子供の言うことも尊重され、合理性で物事を判断。このドラマによる世界像の編み込み(もちろん筆者の両親による編み込みと合わせて)は強力だった。

その後、米国ものに親近感を抱いていたが、かれこれ半世紀、世の中はどんどん変わる。メディアの編み込み力は絶大だ。メディアは、教育機関とも洗脳装置ともいえる側面を持つ。