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それから、クラシックバレエも日本舞踊もできなくなってしまう出来事が起きた。

高校卒業後、社会福祉系の大学に入ってから、他校の邪悪な魂胆を秘めた男子学生たちに、誘い出されてだまされ、一人密室に閉じ込められて、性的ななぶりものにされてしまった。

幼少期から純真に育ってきた高弥さやは精神的に殺されたようになり、休学届けを出すことにした。妊娠して、中絶もしなければならず、泣く泣く父親に打ち明けた。

父親の悲嘆も(こら)え難いものだったけれども、おとなしく一人娘の休学と中絶を認めた。

この性的な汚辱について、この父子家庭の親子は相談の上、世間に恥を見せて騒がれることを何よりも恐れ、放心状態から、気弱な無気力に陥ってしまい、被害をどこへも訴え出ないままに諦めてしまった。

父親は絶望の果てに心身を傷め、病気がちになり寿命まで縮めてしまった。一人娘の相続する財産には、一棟ずつ別荘を建てた二箇所の土地と、一生困らず充分暮らしてゆける貯蓄の資産が残されていた。

有名大企業に長年勤続した父親の、相当の退職金も受け取り、高弥さやは復学して、福祉科の大学を卒業すると、児童相談所に就職先を決めた。

児童相談所の職員として、子どもたちの世話に当たる福祉の仕事に携わるのは、子どもたちの家庭内の問題と正面から向き合うことに他ならなかった。

親の暴力、性的虐待、育児放棄のネグレクト、などの問題解決に直面する仕事だった。

高弥さやは職員として経験を積み重ね、さらに数年が経って、児童養護施設に転属になってから、幼稚園児のまだ幼い近瀬しおり、そのあとに中松貴美江という二人の子どもを、新しく担当することになった。

この女の子は二人とも、母子家庭に育ち、母親はアルコール依存症だった。近瀬しおりは暴力による虐待で体じゅうに(あざ)が見られ、年下の中松貴美江は育児放棄の虐待で栄養失調になり、心身の発達障害が目立っていた。