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芹川郁代は、高校時代に日本舞踊の教室に通って踊りを習っていた。

稽古の場では几帳面なほど先生の言葉に忠実な踊りに努めていたけれども、極度に叱責を恐れて、人前であがるくせがあるために舞いが硬くなり、思うようには上達できなかった。

町宮菊絵は、大学の文学部を卒業していたが、踊りもバレエも歌もなにも、全く習ったことがなかった。ただ漠然とした月夜の美景への憧れから、自分も参加してみたくなったのにすぎなかった。

『ともに楽しみませんか』との案内板の文句に、菊絵は何十日も、さんざん迷った末に、やはり『ともに楽しみませんか』と手を差し伸べる言葉に従って、思い切って踏み込むことにした。

すると案外、女王様のような高弥さやに愛想よく迎え入れられ、気さくな朱美とあやも懇切丁寧に教えてくれる雰囲気を笑顔で見せてくれた。

そして実際に、舞い衣裳の袴を月夜に身に着けると、(なご)やかにお手本を示しながら子どもでも覚えられるようにして舞い方を覚えさせてくれた。

高弥さやにとって、若い女性たちが五人も自分の所に集まれば、もう充分と思われ、別荘を囲む私有地の網代(あじろ)(がき)の案内板を取りはずした。高弥さやの心に最初から宗教のつもりはなかった。

だから新興宗教などと世間に見なされたくなかった。団体でも組織でもなく、ただ個人の自由意志で好きに寄り合うのにすぎない。

女たちだけの生命のために、神聖な月の光に身も心もゆだねるようにして舞いを捧げるという少人数の(つど)いが、自分の思う様式に整えてできればいいのだった。

舞姫の女性たちにしても、その趣旨に賛同して加わってもらえれば、ほかに何の束縛もなく、戒律や教義もなく、何の費用も要らず、行事などもなく、あとは自由だった。

禁止事項といえば、携帯電話を持ち込まないこと、別荘の内の御簾(みす)の下りた聖域の畳の間には足を踏み入れないこと、勝手に儀式の仕方に変化を加えたり、極端に興奮して危険な行為をしたりしないこと、長く伸びた黒髪を短く切ったりしないこと、侍女の二人には接しすぎず距離を保つこと、それくらいに気をつければよかった。