受容すべきリスク

私は、受容すべき「リスク」はたくさんあると考えています。リスクテイクという言い方がありますが、それは「仕方なく」ではなく、「積極的に」選択するべきリスクです。低減、回避の対象としての「リスク」と区別するために、これを「ボラティリティ」と呼びましょう。

「ボラティリティ(volatility)」とは、ファイナンスの世界では価格変動率を指します。つまり、ボラティリティが大きいとは、変動の幅が大きくて、上にも下にも変動する可能性が高いということです。一言で「リスクが大きい」と言って片付けられている事柄の中には、正確にはボラティリティが大きいという場合がたくさんあります。

失敗したらすっからかんになるけれども、成功すれば大きなイノベーションの可能性がある。

これが、ボラティリティが大きいということです。そしてセーフティネットは、リスクを小さくするためではなく、ボラティリティの下振れを補償するために設置するべきで、「自己責任」の意味もよく考えるべきです。

図:マインドのチェンジ

「事故を起こして迷惑をかけやがって。危険な行為は禁止するべきだ」というような正論であっても、許容すべきリスクの議論は必要です。では何を基盤に議論すれば良いのでしょうか。

私は、それが「文化」の役割だと考えます。

何を許容し、どこに向かい、何に挑戦するのか。文化とは「リスク」を冒すに値する価値の体系であるとも言えます。少なくとも、何か昔の良いものを残しておくという類のものではありません。

旅行を考えてみてください。リスク回避の旅行は味気ないものです。旅行の醍醐味は、「思わぬ出会い」と「がっかり」が詰まったボラティリティの最大化にあるのですから。