偉大なる独裁者

しかし、共産主義の欠点は独裁政治になってしまうことである。そして、当然その独裁者が悪ければ悪いほど、国は悪くなってしまう。彼ははたして良い人だったかというと、そんなことはなかった。

冷酷で残忍、短気で神経質な性格で、彼の後継者・猿山秀吉が「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス」と詠まれ、さらに猿の息子を自害させ、天下をかすめ取った狸川家康が「鳴かぬなら、鳴くまでまとうホトトギス」と詠まれているのに対し、「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」である。N.O.はよく戦の前に、部下たちの前で、自分の思想のことを話していたが、部将たちは、あまり良く思っていなかった。そしてさらに、彼は自分のことを全知全能の神であると信じていた。

そんな独裁者がいる近畿地方に、托鉢僧が東国からやって来た。その托鉢僧は、偶然にもN.O.と姿形が瓜二つだった。その名を黙阿弥と言った。

ある日、ある地方で戦が起こった。戦が終わった頃、戦場となった竹藪の中の細道をN.O.に似ている托鉢僧が通りかかった。そこで、ケガをしている一人の武将を助けて、手当をした。その武将こそが、あの明知光秀だったのである。

それから何年か経ち、黙阿弥が近江の国にやって来た。しかし、そこでは、N.O.の命令により、僧侶は迫害されるのだった。城下町に入って、物乞いをしていると、N.O.の家来が通りかかって、彼に暴力をふるった。近江の国のまつりごとについて全くの無知だった黙阿弥は抵抗してしまったので、斬られそうになった。危機一髪のところで、そこに光秀が偶然通りかかって、黙阿弥を助けてくれた。

光秀が、彼にだけは手を出すな! と、部下に命令しておいたので黙阿弥はしばらくその城下町に住むことにした。そんなある日、N.O.が比叡山領を横領したことをきっかけに、比叡山と対立し始めた。光秀は僧の排斥行為を止めるように提案したのだが、短気なN.O.は容赦なく、忠義な家臣光秀を牢に入れてしまった。そのことを聞いた光秀の部下は托鉢僧のせいだと思い、彼を捕まえて牢に入れてしまった。