しかし、ある日のこと、N.O.がいつもと違う服装を身にまとい、御忍びで趣味の釣りをしに出掛けに行った日のことである。光秀と黙阿弥はともに協力して牢を脱出した。そして、托鉢僧がN.O.に似ていて、光秀と一緒にいたので、部下たちは皆、黙阿弥をN.O.と勘違いしてしまい、一方、本物のN.O.は托鉢僧と間違えられて、捕まってしまった。その次の日は大規模な戦だった。

戦の前に光秀は黙阿弥に

「N.O.はいつも、戦の前に、部下の前で演説をします。早くしないと怪しまれます!」

と小声で言った。黙阿弥は

「わかった」

と言って、皆の前に立ち、演説を始めた。

「人と人が同じだとする。それは持っているお金の量も同じだということである。全員が同じだったら、全員が持っている財産の量は同じだということになる。しかし、人と人は、違わなければならない。なぜなら世界は広いからだ。この日本に住んでいる人より、多くお金を持っている人が住んでいる国もあれば、貧しい人が住んでいる国もある。人と人が全く同じだと、真実にたどり着けない。今は、まだほとんどの人が同じで、たまにいる変わった人だけが、その集団と違うのである。

変わった人には、普通の人よりお金を持っている人もいれば、普通の人よりお金を持っていない人もいる。しかし、いつかは全員がそれぞれ異なる多様性ある世の中になっていくだろう。そのためには、そのたまにいる変わった人がいなくならないように、お金を持っていない人に、お金を与えなくてはならない。また財産を持ちすぎていることも、その人にとって悪いことである。そういう場合は、その人から財産を没収しなければならない。そして、貧しい人、変人、普通の人と平等にしなくてはならない。

だから、お金を持ちすぎている人から、お金や財産を没収し、そのお金を、変わった人も、普通の人も含む全員に、与えなければならない。そして、変わった人も、普通の人も含む全員から、お金や財産を没収し、お金を持っていない変わった人に、与えなければならない。私は、皆の模範になるために、誰よりも先に、皆にお金を与え、皆からお金をもらう。なぜなら私は神だからだ!」

演説が終わると、誰かがこうつぶやいた。

「あのお方こそが、偉大なる独裁者だ!」

天正十年(一五八二)六月、京都にてN.O.のふりをしている托鉢僧が、光秀に攻められ自害した。光秀は共産主義を否定したかったのである。この事件は、世間では「本能寺の変」と呼ばれている。