二 日本文化と世界

8 鬼は外

 

まだまだ寒さが厳しいが、暦の上ではもう春だ。白菜や小松菜などは、この時間が旬。瑞々しい葉が土から顔を出す様子は、春が近づいていることを知らせてくれる。寒さに耐えた旬の野菜は、甘みがあって美味しい。まず美酒と一緒にいただきたいものだ。

もっとも、寒さを越した白菜には甘みが出るのだが、一瑞「霜」が降りたら、かわいそうにも枯れてしまう。「過ぎたるはなお……」とはよく言ったものだ。「中庸」という言葉があるが、何事もバランスが大切だ。もちろん、人間も……。

「節分」とは元々、季節の変わり目という意味だ。古には季節の変わり目には邪鬼、すなわち鬼が出ると考えられたそうだ。確かに、体調を崩しやすくなる時期でもある。昔の人々は、原因のわからない、恐れを及ぼすものを「鬼の仕業」と考えた。節分で豆をまき、鬼を追い出して、健やかな一年を送れるように祈ったのだろう。

鬼退治と聞けば、思い浮かべるのは「桃太郎」。岡山県が発祥の昔話だ。瀬戸内海に浮かぶたくさんの島々。その中の一つに、鬼がすんでいるのかもしれない……と想像をかきたてたのだろう。

能『大江山』では「酒呑童子」という、ちょっと変わった鬼が出てくる。京都は大江山に住みつく鬼「酒呑童子」。お酒を飲むのが大好きな鬼で、通りかかった旅の山伏一行を住処に招き入れた。人間を獲って食べるつもりだったのか、はたまた仲良く酒が飲みたいだけであったのか……。やがて飲みすぎて、寝入ってしまった。

実はその一行は、かの名将・源頼光たち。まんまと鬼退治に成功した訳だ。「鬼でもそんな非道な真似はしない!」息絶える間際、そのような一言を酒呑童子は投げつけながら……。

古より人々は、自分の中にある「恐怖」を鬼に投影してきたのだろう。それは「病気」であり、「厄災」であり、様々に姿を変えて人々を苦しめてきた。

豆まきは、それでも明るく前を向き、生きていくための、ある種の知恵なのだろう……。

でも、人の心に自己中心という「鬼」が密かに内在しているような気がしないでもない。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。