二 日本文化と世界

9 桜が舞う頃

「難波津に咲くや木の花冬籠(こも)り 今を春辺と咲くや木の花」

これは「競技かるた」で最初に読まれる序歌だが、ここでいう“花”とは梅のことだ。作者は、渡来人の王仁。その古、冬を耐え忍んだ梅の花が咲き、春の訪れを告げている様を表した歌だ。

この時代の日本では、大陸の文化に親しみがあり、“花”といえば梅のことであった。やがて時は流れ、平安時代になると人々は桜を愛でるようになる。

今でも多くの場所で見られる“染井吉野”の“吉野”とは現在の奈良県にあたる地域で、古より桜の名所として知られた所だ。もっとも、ソメイヨシノができたのは江戸時代になってからなので、この時代はもっぱら山桜だ。あの西行法師らも、きっと山桜を愛でたものだろう。ゆっくりと長い時間をかけて……。

和歌は平安時代の貴族にとって嗜みの一つでもあり、多くの歌人らもこぞって桜の花を歌に詠んだ。

平家の勇将、平忠度は文武両道に秀でた人物として知られる。平家が滅亡し朝敵となった後も“詠み人しらず”として勅撰和歌集に和歌が残るほどだ。

「ささ波や 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」

戦で荒れ果てた都とは対照して、あの長等山には昔と同じように、今年も花が咲いている……そんな光景を詠った歌だ。

そんな彼の歌にも、やはり桜の木にちなんだものがある。

一ノ谷の戦いで、源氏方がある平家の公達を討ち取る。その公達は名乗ることなく逝ってしまったのだが、ふと見ると「箙(えびら)」に和歌が結びつけられていた。そこには“行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし・忠度”と書きつけられており、さては彼こそがあの薩摩守忠度であったかと、敵味方共に涙を流したという。

現代人にとっては、お花見がもっとも桜に親しむ機会だろう。若い人たちはお花見の場所取りで木陰を“宿とする”のだろうか。もっとも「花より団子」で、桜の花は二の次かもしれないが……。

桜の花は華やかなものだが、どこかふと寂しさをも感じさせる。これこそ、我々日本人の中に脈々と受け継がれる感性なのではなかろうか。

今年はどんな想いで桜を見つめるだろうか……。

(注)箙… 矢を入れ腰につけるもの 

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。