教育事業して、本業部下任せに

宣伝費に年間三千万円以上支払っていたが、会社の業績はすこぶる良く相変わらず無借金経営は続いていた。内部留保も億単位になった。

どこよりも早くカップみそ汁を開発し、時代のニーズを先取りして、おにぎり、弁当などテイクアウト市場にヒットさせたお陰で会社の経営は順風満帆だった。

そして好奇心から色気が出て、以前から興味があり、いつかやってみたかったスマートな事業に手を出した。教育事業である。

平成時代が幕を開けた一九八九年のことだ。五反田駅近くに高い家賃でオフィスを借り、上野食品教育事業部として発足。教育ビデオの制作と販売、後に英会話学校を経営することになった。

手を着けた以上、絶対に成功したかった。いま考えると馬鹿なことをしたとはっきり言えるが、私は英会話の勉強のために三ヶ月間オーストラリアでホームステイまでして教育事業に没頭した。

教育事業部が開設した英会話学校の先生と生徒たち(1990年6月撮影)。 前列、一番左が上野社長。

なぜオーストラリアかと言うと、大学の後輩がすでに二十年以上前に一級建築士事務所をシドニーに開設していたので、何かと都合が良いと考えたのだ。

彼の紹介でシドニーから電車とバスで一時間以上離れたイギリス系の奥さんとタイ系のご主人が暮らす家にホームステイさせてもらうことになった。

今から三十年前の話だが、生活習慣はイギリスの影響を受けていたので、ご主人は会社から夕方五時に帰宅すると庭掃除、洗濯物の取り込み、ゴミ出しなど家事の手伝いで忙しかった。

おおよそ欧米の人たちは、日本のように新しい電化製品は買わないで古いものを大切に使っている。二歳になる赤ちゃんを預けて奥さんは働きに出ている。

また離婚も多く、奥さんの母親も離婚していて、別れた父親もたまに来るので少し日本と違う感じがした。

すでに三十年前から、オーストラリアの生活は今の日本の若者と同じ生活様式になっていたのである。