「スタンカップ」絶頂期

しかし、テレビは広告料が高かったので半年でやめることにした。また、田岡先生には講演をお願いした。

読売新聞や毎日新聞に「スタンカップ」の新商品が掲載されることも度々あった。私個人がラジオCMの原稿を作って出演していたこともあり、個性的な社長だと思われて講演の依頼まで舞い込み、本人も多少有頂天になっていた。

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食品のテイクアウト市場がトレンドになって弁当チェーン店でなくコンビニも弁当に力を入れてきた。L店、F店など、S店を除くほとんどのコンビニで「スタンカップ」を扱うようになった。まさに絶頂期であった。

会社を二分して 資本と経営を分離。

ここで大事なことを説明しなくてはならない。実は一九八八年頃に公認会計士と相談して重要な決断をした。上野食品株式会社(旧・上野商店)は父が引き継いだ時に株の所有は母の持ち分が六十パーセント、私の持ち分が四十パーセントの同族経営であった。

私は就任した時に「家業の同族経営から、社員を株主にしたスマートな企業経営に脱皮したい」と考えていた。身内だけが重役になっていては、社員のマネジメントの意識は高まらないと思い、会社を身内のものではなく社員のものにしたいと私は本気で思っていた。それなら会社を二分して従来の上野食品(株)を上野ビルディング(株)に名義を変更し、新しく上野食品(株)を設立すれば良いと考えていた。