「公立は『オワコン』だ」なんて言わせない! 教育現場にはびこる不信、あきらめ、無関心。そして現場を無視した制度改革――。 社会が目指すべき学校教育とは? 現役教師が解説していきます。

実際の教育活動の中で輝く「教育哲学」

生徒指導編~子どもが困難の乗り越え方を学ぶチャンス~

「生徒指導」という言葉を聞くと、大柄の体育の先生に叱られる、なんていうことをイメージする人もいるでしょう(私の世代では、竹刀を持って校門に立っているのが、生徒指導の先生というイメージの人もいるのでは……)。

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しかし、生徒指導イコール叱るということではありません。学校の中では、多くのトラブルが起こりますが、その度に叱ればよいのではありません。育ってきた環境も違う子どもが集団で生活する以上、トラブルはあって当たり前です。子どもが今後の人生で起こる困難を乗り越える人格を育てるために必要なのが、生徒指導です。

実際の現場ではどうでしょう

当然、子どもの人としての成長を目指した素敵な生徒指導の取り組みをしている学校もたくさんあると思います。しかし、なかには、トラブルが多くなるとたびたび、「雰囲気が緩んできているから、そろそろしめないとね」というように、「しめる」というワードが出てくることがあります。

首をしめるということではなく、雰囲気を引き締めるということで、具体的にいえば厳しく叱るということです(学校が荒れていた頃の名残でしょう)。

「子どもへの想い」と「目的」があればうまくいくでしょう。もちろん、問題の芽を事前に見つけて、未然に防ごうという真剣さと、早い段階で問題の対処にあたり、子どもが苦しまないようにしたいという愛情が、「しめる」という言葉になっているのであれば、私も大賛成です。しかし厳しく叱ることで教師の言うことを聞くような関係をつくり、頭ごなしに学校のルールを守らせようとして、いわゆる「しめること」が目的になっている場合はうまくいきません。