そのときである。何者かの視線をぼくは感じた。あたりをうかがった。気配の先は鏡だった。壁に貼られた鏡のなかに、こちらを見つめる顔があるのだ。くすんだ肌色。生気を失った瞳。浮いた頰骨。その顔に見おぼえはない。

どうして知らない男の顔があるのだろうか。不思議な気持ちでしばしその顔と対峙するが、当然の事実に突きあたって愕然となった。それは自分の顔だった。そもそも、この部屋のなかで自分以外が映り込むはずはない。

わかっている。わかっているのに、でも、ぼくにはそれが自分の顔にはとうてい見えなかったのだ。ぼくが知る自分は黒く日に焼けて健康的なはずだった。口もとには意志を、両の目には強い光を宿しているはずだった。なにより自分が見まちがうことなど絶対にない、たしかな存在のはずだった。

それがどうしてこんなにも憔悴(しょうすい)しきった別人の顔になりはてているのだろうか。わからない。わからなかった。わからぬままに「どうして……」とぼくは鏡につぶやいていた。しかし、鏡の自分は口を閉じ、困惑するぼくをその目でじっと見つめるだけだった。