人間関係

そういう日陰の身を返上したいと行動を起こしたこともある。

【関連記事】「出て行け=行かないで」では、数式が成立しない。

でもそれは、手っ取り早く人からまぶしい目を向けられたいとか、まわりから一目置かれたいとかいう不純な動機から発したもので、まじめに汗を流し、時間をかけて積み上げるという努力を怠ったぼくは、当然のことながらやることなすことそのすべてが中途半端で、結局、ひとつとして実を結ぶものはなかったのだ。

そんなぼくが、人生には地道に取り組むことによってしか成しえぬものがあるという当然の事実を突き付けられたのは、典子を間近に見てのことだ。

典子との結婚生活はそれを見せられつづけた二年間でもあった。典子はひとつのことに興味を持つと、それがどんなに小さなことでも全力で、辛抱づよく取り組んだ。

ぼくなら絶対に避けて通る厄介事も、典子は決して避けなかった。ぼくは煩わしそうな人間関係をさっさと見切ったが、典子は不器用なくらい人とのかかわりに執着した。

結婚したとき、ぼくたちは両家の親族が一堂に会するような式は挙げなかった。会社の上司や同僚、かつての同級生らを招く披露宴も開かなかった。その代わり、共通の関係者である大学時代の恩師や仲間たちを招くパーティーだけを都内の施設で催した。

大げさなことはしたくないと典子が言うので、それを尊重するふりをしてそういうものにしたのだが、ぼくは内心ではほっとしていた。むしろ渡りに船だった。

なにしろ、世間並みの結婚式や披露宴を開いたところで、ぼくには招待できる人間などいなかったのだから。

いや、大学の関係者だけを集めるそんなパーティーでさえ、ぼくたちのためにいったいどれほどの人がわざわざ足を運んでくれるのかがわからず二の足を踏む思いだったのが、典子の人脈と幹事の尽力のおかげで、会場がほぼ一杯となる七十人近くが集まるという存外ににぎやかなものとなり、少なからずぼくは自尊心を満たせ、当日は典子の顔からも笑みが絶えることはなかったのだ。

しかし、だからといって、それが典子の望んだとおりのものだったかといえば、笑顔の裏で典子がじつはさびしい思いでいたことをぼくは知っている。

なぜなら、典子が「大げさなことはしたくない」という言葉に込めていたのは、あくまで式の規模や会場の大きさなどの外面的なことであって、なにもそこに招く人間までを一握りにしぼってしまうということではなかったからだ。

わかっていながら、ぼくはそういう方向に誘導した。