「家業」から「企業」へ、二十七歳のイノベーション発動。

一九六五年当時の食品市場はまだ物が不足し、流通、決済、情報が整備されていないため、生産者はその機能を問屋に頼らなくては小売店や消費者に届けることができなかった。それは食品業界に限らず、あらゆる業界が問屋を通して流通していたので問屋の力は強かった。私の記憶では味噌問屋が都内だけで三十社以上、関東地区で百社近くあったと思う。

その後、一九七〇年を境に日本経済も右肩上がりになり、私も家業を継いでから五年経ってようやく自分のペースで仕事ができるようになった。大手のメーカーはラジオ、テレビ宣伝を行うようになり、自社ブランド商品の情報を問屋、小売店を通さずに直接的に消費者が得られるようになってきた。一九六〇年代に黎明期であったスーパーが雨後のタケノコのように出現して大量生産・大量販売の時代が到来する。

まだ宅配業者はなかったが運送業者も増えて流通が整備されてきた。大手スーパーが躍進して物流を担う大手の食品問屋と大手メーカーとの結び付きが強くなり、価格と物流で機能を果たせない中小問屋はやがて廃業、倒産に追い込まれていった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『復活経営 起業して50年 諦めないから今がある』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。