ところが翌朝、男性職員がうんざりした顔でやってきて、私に文句を言いました。

「先生、昨晩男どもは疲れて寝るどころか、みんなマスターベーションに明けくれて、カタカタカタカタうるさくてしょうがありませんでした。やはりダンスパーティーはいけません」

これを聞いて、私は飛び上がるほど嬉しい気持ちになりました。男なんですから性欲があるのはあたり前です。生気のない死んだような表情をしていた男性患者たちが、女性とふれあったことに興奮して性欲を隠しきれなくなったのです。それこそ「人間性の復活」ではありませんか。

ダンスパーティーの成功に気をよくした私は、さらに意欲的になって患者たちを病院の外に連れ出してみようと思いました。これは当時としては「とんでもないこと」です。

当時の精神病院は、こころの病をもつ人たちを隔離しておくことが社会的な役割でもありました。そのために、ほとんどの精神病院が人里はなれた郊外や山奥に作られたのです。それをわざわざ外に出すなど、常識はずれもいいところ。案の定、近隣住民から「危険な人間を野にはなつようなことをするな」と大反対にあいました。

この頃、全国で少しずつ隔離拘禁を可能なかぎり減らし、患者を閉鎖病棟から出していこうという「解放運動」がはじまっていました。まだ実践例は数えるほどもありませんでしたが、近隣住民には「これはれっきとした治療なのです」と説得し、職員をつけて見守るなどの約束で、了解してもらいました。

解放といってもはじめはせいぜい周囲のあぜ道を歩いたり、裏山にのぼってみたりといった程度でした。それでも患者たちは目に見えて血色がよくなり、よく喋り、よく笑い、夜はぐっすりと眠るようになりました。問題はなにも起こりません。それどころか、やがて何人かは町へ連れ出せるようにもなったのです。

残念ながら、私は2年で病院を去り、東京に戻りました。しかし、右も左もわからなかったところから福島にやってきて、常識はずれといわれながらも体当たりでさまざまなことに挑戦し、確かな手ごたえをつかむことができました(ちなみに、この病院はいまでも福島の地にあって、大変立派な病院になっています)。