私たちは「かっぱの世界」に住んでいる

こころの病とはなんだろう――そう考えるとき、私はいつも芥川龍之介の短編小説『河童(かっぱ)』の話を思い出します。

いまから90年前、昭和2年(1927年)に発表された作品なので、読んだことがある人は少ないかもしれません。物語は精神病院に入院している、主人公の回想録という設定で進んでいきます。

あるとき、主人公は上高地の温泉宿から穂高山に向かう、山歩きに出かけます。ちょうど梓川の谷のあたりで深い霧に包まれて道に迷い、クマザサのやぶに分け入ったところで一匹のかっぱに出会うのです。逃げるかっぱを追いかけるうちに、主人公はまっ暗な穴に落ちてしまい……気がついたらかっぱの世界にいた、というわけです。

穴に落ちたはずみでケガをした主人公は、かっぱの医者であるチャック先生の家へ連れていかれ、手当をうけます。そうして、かっぱの国の法律によって「特別保護住民」となり、小さいながらも洒落た住まいを与えられ、言葉を習ってかっぱたちと交流をもち、その世界の文化や風習を学んでいきます。

かっぱの世界は見たところ、人間の世界と非常によく似ているのですが、その価値観は人間のそれとは微妙に違っているようでした。人間が正義や人道のこととしてこだわっている問題が、かっぱの世界では腹を抱えて笑うほどナンセンスなものであり、逆にかっぱの世界でタブーとされていることを、人間は平然と行っていたりするのです。

たとえば、かっぱの世界では産業の機械化がすすめられているのですが、新しい機械が導入されることによって職を失うかっぱたちは、すぐに殺され食肉にされてしまいます。読者は「なんと残酷な」と思うでしょうが、それを見越したように主人公を案内したかっぱは笑いながら、こう言い放つのです。

「餓死したり自殺したりする手数を国家的に省略してやるのです。あなたの国でも第四階級の娘たちは、売笑婦になつているではありませんか?」

これを読んで「はっ」とした人はいないでしょうか。

機械化(IT化あるいはロボット化と言い換えてもいいでしょう)がどんどんすすめられているのは、現代の日本も同じです。雇用に関する法律がありますから、機械の導入を理由に直接的に解雇される人はいないかもしれません。そのかわり、理由をつけて閑職に回されたり、職場でイジメにあって自ら退職するよう追いつめられるといったケースは枚挙にいとまがありません。

あるいは、社会全体で見れば、そうした傾向が「玉突き」のように人びとを弾いていって、最終的に底辺層にいる人たちが極貧の暮らしにあえいでいるのです。ひと昔前は女子高生が遊ぶお金欲しさに援助交際をするのが問題になりましたが、いまは生活費のために売春をしている女子中学生がいるほどです。

借金をして追い詰められたり、将来に絶望して自殺してしまう人も後を絶ちません。日本は自殺大国です。2012年の自殺者数は2万9442人、10万人につき18.5人であり、これは先進国のなかでも群を抜く多さです。

急速にすすむ社会の進化についていかなければ、たちまち「失格」の烙印をおされてしまう恐怖。自分が脱落してしまうのではないかといった不安は、プレッシャーとなって私たちのこころにずしりとのしかかっています。

ほとんどの人は、社会的にうまく立ち回るすべを知っており、またそうならないように努力をして、プレッシャーを払いのけることができます。ですが、なかにはプレッシャーに押しつぶされこころがぽっきりと折れてしまう人がいます。うつの症状になってあらわれる人もいれば、依存症というかたちであらわれる人もいます。

「自分は大丈夫」と思っているあなたも、いつ同じような境遇に見舞われてしまうかもしれません。こころの病を抱えてしまった人たちに手を差し伸べず、まるで不用品のようにあつかうような社会なら、失業者を殺して食べてしまうかっぱの世界となんら変わらないのではないでしょうか。

※本記事は、2017年10月刊行の書籍『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。