第一章 ほうりでわたる

鍋底景気の就職​

四年間通った定時制高校もいよいよ卒業を控えて、就職先を探さなければなりません。当時は鍋底景気と言われ、就職難で求人が少なく、私はあちこちの企業の試験を受けて落とされました。

北九州の製鉄所、東京の通信会社、地元の中小企業なども受けましたが、だめでした。父が海軍だったこともあり、海上自衛隊の試験も受けました。

すると合格通知が来て、海上自衛隊呉地方隊から入隊通知が届きました。私は艦船に乗って通信士になりたいと思いました。ところが母が反対するのです。

「絶対に行かないでほしい」と言って聞きません。仕方なく自衛隊の入隊はあきらめました。

すでに学校は卒業していましたが、担任だった生田先生に相談したところ、先生の同級生がある会社で課長をしているということで、苅田の九州火力建設株式会社(現在の西日本プラント工業株式会社)を紹介していただきました。

面接を受けた結果、一九五九(昭和三十四)年九月に入社することができました。

[写真] 1960(昭和35)年ごろ 苅田発電所のタービン通汽式前で。

初めは事務所の工程管理課に配属されましたが、現場での勤務を希望し、タービン配管課で働くようになりました。仕事場となった大きな苅田発電所内には、高温高圧の蒸気管や大小無数の配管が通っています。目を見張るような規模の大きさのタービンやボイラーなどに囲まれて、仕事を覚えていきました。