第一章 がんは他人事

家族との葛藤

二〇一五年の暮れぐらいから、私はとてもイライラしていました。双子の妹からも、「言葉がキツイ。昔のノンコと全然違う!」と呆れられていました。

「前はもっと大らかで、何でも親身になって相談に乗ってくれて、とても頼もしかったのに、今は人の批判ばかり口にするようになっている。どうしてこんなに変わっちゃったのかしら?」と指摘されていたのです。

自分としてはそんなに変わったという自覚はなかったのですが、確かにその当時、息子と息子の結婚のことで揉めていたので、常にすっきりしない精神状態にありました。

息子はもう四十歳を過ぎていましたし、当然母親の言いなりになるつもりはありません。特に私は我が強い方ですから、いろいろ口を出されるのがいやだったようで、結婚のことをほとんど相談してきませんでした。

「お嫁さんのご両親にばかり気を遣って、私のことは無視している」

そうひがんで、結婚式のときにはイライラが頂点に達していました。

当日の写真を見ると、笑ってしまうほど険しい表情をしています。息子とは一緒に仕事もしているので、業務上も必要以上に厳しいことを言うなどして、彼のプライドを傷つけていたと思います。

一方で息子からは「もう年なんだから」とたびたび言われるようになっていました。「運転はもう止めた方がいい、運転なら僕がするから」と乗り慣れた車を替えられたりして、私が運転できないような状況をつくられたのには、さすがに堪えました。

息子は私の安全を思ってやってくれていたのですが、私は運転が大好きだったので、それだけで気弱な気持ちになり、そうした環境の変化にさらに苛立ちがつのったのです。

私はとかく息子や娘たちに対して、「こういう風にした方がいい」と命令口調で決めたがるところがありました。四十前後の子どもたちにそれは通用しないことは頭の片隅でわかっていながら、そうした態度を変えずにいたのです。子どもたちからは、「何でも経験しないで決めることはできないから、自分でやってみて結論づけたい」と言われました。

それももっともなことだと理解しながらも、固定観念から相手の意見を尊重することができず、常にカッカとしてしまいがちでした。心がゆがんでいたと思います。

私は遠い人には親切にしたり気遣いができても、家族に対してはあまりにも横柄でした。「自分はこれだけやってあげているんだから、それに対して家族も応えて欲しい」という気持ちが強かった。それが一番いけないことだと最近になってわかったのですが……。

幼いころの子どもたちと

ともかくストレスばかりを感じていて、やさしくなれない自分がいました。止められなかった喫煙と自分自身が招いたフラストレーションで、心身を痛めつけていました。がんにしてみれば、「これを餌にしちゃえ」と喜んでいたはずです。「世の中、すべて感謝ですよ」と人に言っておきながら、自分がその意味を一番わかっていなかったのです。

ストレスが充満して、

やさしくなれない

自分がいた。

※本記事は、2019年8月刊行の書籍『がんでは死なない 余命3カ月から生還する心構え』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。