第1章 本書の重要事項

重要事項12 哲学説とは仮説で構築された仮説

哲学説とは、1つ又は複数の真偽不明の仮説を前提として構築された新たな仮説に過ぎません。前提となる仮説を資材として(少なくとも論理的には問題なく)構築された仮説が哲学説であるということになります。

俗に言えば、哲学説とは、砂(すなわち仮説)の上に立つ砂で構築された砂の楼閣ということになります。砂である前提としての仮説が偽とわかれば崩れる楼閣です。従って、現在生き残っている哲学説は、その前提としての仮説が未だ偽とは判明していないがゆえに生き残っていることになります。

例えば、認識の起源、本質、方法、妥当範囲などを論究する認識論にしても、その哲学説は古代に始まり現代に至る迄、既存の説を批判することにより新しい説が唱えられることが延々として繰り返されていますが、古代の説から最新の説に至る迄無効とも有効とも結論されることはなく、そのまま哲学界に居座り続けていて新旧説のオンパレードの様相を呈しています。

中には、ある説と別の説は矛盾しているという例も珍しくありません。なぜなら、どの哲学説の前提たる仮説も真偽不明であるがゆえに、どの説が正しくどの説が正しくないと結論できないからです。言ってみれば、哲学説とは、そのように仮定すれば、そのような仮説が構築できる、というお話にすぎないということになります。

それでは人間界に哲学は不用かというと、そういうことでもありません。哲学的に思索することは、哲学説が仮説であっても、そのような見方もあるかという点に気付くことができますし、我々の精神の鍛練・発達に貢献することは間違いなく、そして何よりも哲学の素晴らしい点の1つは、悪く言えば言いたい放題を言っているといえども、哲学界は万人が容認している精神の自由な遊び場であるという点にあります。