哲学における花形である認識論にしても、我々の日々の生活においては、そのようなややこしいことを気にすることはさらさらなく、子供の時のように素朴実在論で何ら困ることはありません。

素朴実在論とは、外界が意識や主観から独立にそれ自体として存在していると見、意識内容はそれの模写と考える立場のことですが、誤解を恐れずに単純化すれば、何事も五官が認識した通り、あるいはさらに、見た通り感じた通りという意味になります。

精密機械やボーイング747でさえ、作るのも見るのも触ってみるのも乗ってみるのも素朴実在論で事足りています。ただ、ほかの見方のあることも承知していればいいということです。素朴実在論的な色(しき)やマクロの日常の中にいても、その中に他面の空(くう)や量子論のミクロの世界があることを忘れなければいいということになります。

なお、掲題の「哲学説とは仮説で構築された仮説」というのは抽象的でイメージしにくいかもしれないことを考慮し、第5章B−40に古代ギリシャの哲学者プラトンの哲学説を例に採り、この掲題の意味を具体的に記述してあります。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。