第2章 変遷する発達障害

自閉症の発見

40年近く前、私が大学を出てすぐの頃、小児精神病棟に行く機会がありました。当時でももう重症心身障害児施設に入所する子どもが多くなって、小児精神病棟は少なくなっていましたが、何らかの事情でまだ施設に入ることができない子どもたちが入院していました。閉鎖病棟です。

先輩の相談員が案内してくれましたが、鍵を開けると窓が高い位置にあり全体にうす暗く独特な臭いのする病棟の中、デイルームに2、30人もいたでしょうか、見たことのない人間が来たので一斉に言葉にならない声を上げながら近づき、私に触ろうとします。

白衣や髪に、いくつもの手が伸びてきます。10歳は過ぎている、ひょっとしたら20歳近いかもしれない子どもたちが大半です。その手を取って握手し「あぁ、こんにちは、こんにちは」と捕まらないように防御し、あたりを見るとしゃがんだままじっと動かない子、奇声を発しながら動き回る子、私には興味のない子どもたちもいました。異様な光景です。「ボク、初めて入った時は、そのあと吐いちゃったんですよね」と誠実で正直な先輩の相談員は話してくれました。

その頃はまだ、発達障害は教科書でも精神発達遅滞もしくは精神遅滞のことでした。現在の知的障害のことです。知的障害と言っても、ただ知能指数が低いということではありません。知能指数は知能検査というスケールを通して指数化した数値に過ぎないので、個々の特徴を正確に映し出すものではありません。しかしながら知的な障害はほかの精神疾患にさまざまな影響を与えて行くことも知られていましたから、ひとつの項目として取り扱われていました。

明確な言葉にならなくとも意思表示をしてくる子、人には興味がなく自分の世界にいる子、てんかん発作を起こす子、妄想や幻覚があるかもしれない子、子どもの数だけ特徴があります。当時わが国でも、少しずつ自閉症の概念が知られるようになりましたが、自閉症はそのような子どもたちの中から発見されて行ったのでしょう。

1943年アメリカの精神科医レオン・カナーは、人には興味がなく自分の世界におり、外界とのコミュニケーションも困難なそれらの子どもたちを「自閉症」と名付けました。そのような重い障害を持つ子どもは「カナー型自閉症」と呼ばれました。

時期を同じくしてオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーも同じような状態の子どもたちを見出し「自閉的精神病質」と名付けました。

その後1981年、ハンス・アスペルガーの著書がドイツ語から英語に翻訳された時、「自閉的精神病質」からハンス・アスペルガーの名前をとって「アスペルガー症候群」と言われるようになりました。その後長く「アスペルガー症候群」として定着していきます。

第二次世界大戦のさなかに、このような子どもたちが発見されたということは、自然や人から離れて自分に閉じこもるような、現代社会につながる何かを感じます。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『“発達障害かもしれない人”とともに働くこと』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。